核兵器と気候変動「世界終末時計」が示す警告 2025年"残り89秒"核の脅威と気候危機を警告

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世界終末時計
最初の世界終末時計は1947年に登場(画像:BAS)

世界情勢に応じて進み、また戻る時計の針

2025年1月時点で、世界終末時計は合計26回もその時刻を更新してきた。最初に時計の針が動いたのは、ソ連が初の核実験に成功した、1949年だ。ソ連の実験成功は、米ソ間の核軍拡競争の口火を切ることとなり、西側諸国はこれを人類にとって最大の危機と受け止めた。

その後、米ソがともに熱核兵器の実験を行ったことで、1953年に世界終末時計は午前0時まであと2分にまで迫った。

この状況は1959年まで続いたが、その間にアメリカ国内における核兵器の危険性が一般国民に理解され、さらに「大規模な報復」の応酬になるのを避ける動きが強まり、米ソは互いに他国の地域紛争への深入りを避けるようになった。こうしたことから、1960年には時計の針が午後11時53分まで5分も戻された。

1949年10月号 1953年9月号 1960年1月号
1949年10月号、1953年9月号、1960年1月号(画像:BAS)

ただ、その後の1960~1970年代は、冷戦時代のさまざまな出来事により、終末時計も午後11時53分から11時48分の間を一進一退するように推移した。

1963年10月号 1968年1月 1969年4月号 1972年6月号
1963年10月号、1968年1月号、1969年4月号、1972年6月号(画像:BAS)

再び時計が終末に向かって進み始めたのは、前年にインドが核実験を行った1974年だった。この年午後11時51分を指した時計は、5年間それを維持したのち、ソ連・アフガニスタン戦争勃発で米ソの足並みが崩れた1980年には2分進んで午後11時53分になった。

以後1980年代半ばまで、米ソ間の緊張は高い状態が続き(冒頭のエピソードで紹介したように)1984年には、終末時計は午後11時57分を指すに至った。

この時期は平和の祭典であるはずのオリンピックでも、1980年のモスクワ大会をアメリカと同盟国のいくつかがボイコットしたのに対し、続く1984年のロサンゼルス大会では、報復としてソ連とその同盟国がボイコットした。

1974年9月号、1980年1月号、1981年1月号、1984年1月号(画像:BAS)

1987年は、米ソの関係が大きく改善方向に向かい始めた年になった。両国が中距離核戦力全廃条約で中距離核ミサイル廃止を取り決めたためだ。続く1990年には、第2次世界大戦以後東西に分かれていたドイツが再統一を果たした。

そして1991年、ソビエト連邦はアメリカとの戦略核兵器削減条約(START I)に署名したのを皮切りに、10月までにすべての核実験を完全停止した。

一連の動きは、世界終末時計を午後11時43分にまで戻すことになった。これは、この時計が考案されて以来、最も午前0時から遠ざかった瞬間だ。そして、この年のクリスマスにソビエト連邦は崩壊し、冷戦は終結した。

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