「三つ子で1人だけ浪人した」彼が2浪で掴んだ道 次男は早稲田、三男は米国の大学に進学したが

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「兄弟でよく喧嘩をしていた」と語る陸さんは、周囲に中学受験をする生徒が多かったこともあり、弟たちと一緒に中学受験用の塾に通って受験しました。しかし、3人全員合格はかなわず、全員同じ公立中学校に進学します。

濱井正吾 浪人 三つ子
小学校のころの三兄弟。一番右が陸さん(写真:陸さん提供)

中学に進んだ陸さんは、中学受験の勉強をした貯金もあったからか、上のほうの成績でした。中学に入ってからもクラブチームで野球を続けていた彼は、将来は六大学野球の舞台でプレーすることに憧れて、早慶の附属の高校に入るために受験勉強を頑張りました。

「中学受験では、すごく受かりたいという気持ちがあったかと言われれば、そうでもありません。ただ、小学校で野球を始めたときから高校野球で甲子園に行きたいという思いはありました。強豪であった早実(早稲田実業学校高等部)か、慶応(慶応義塾高等学校)のどちらかには入りたいと思い、塾での勉強には力を入れていました」

早慶附属に落ち、第5志望の高校に進学

「甲子園に出る」という夢を抱いて、中学1年生の冬に入塾した早稲田アカデミーで勉強を重ねた陸さんは、次男・三男よりも上のクラスに入ることができました。

また、野球のクラブチームでは、エースピッチャーとして、3年生のときに、東京都の大会で準優勝しました。

濱井正吾 浪人 三つ子
中学時代の三兄弟。陸さんは真ん中(写真:陸さん提供)

こうして野球の方面でも結果を出していた陸さんでしたが、高校受験では早稲田実業学校高等部、慶応義塾高等学校に加えて、早稲田大学高等学院と立教新座高等学校を受けるも願いはかなわず。六大学の附属とは関わりのない、第5志望の高校に進学することが決まりました。

進学した高校でも野球を続けることにした陸さんでしたが、今まで以上に野球一色の環境になったことが、大学受験にも影響を及ぼします。

「毎週金曜のオフ以外は、ずっと野球をしていました。毎日部活が20時に終わったので、21時に帰宅してから食事・風呂・就寝という日々を送っていました。そのため、勉強はできませんでしたね。

朝練は強制ではなかったのですが、野球部の生徒は『8時半の始業よりも1時間早く来い』と言われていたので、7時半に学校に来て、その1時間は勉強するようにしていました。ただ、当時はその1時間と授業の間にある10分間の休み時間、登下校の時間だけしか自主的に勉強ができませんでした」

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