過酷な野球部の生活で勉強時間を確保できなかったことは、成績にも影響します。高校1年生のときは、学校で最も学力が上のクラスに入ることができて、そのクラスの中では35人中2番程度でしたが、高校3年生になると理系クラスで、40人中30番台前半くらいまで成績が落ちてしまいました。
「高校2年生までは模試の点数もそこまで悪くなかったのですが、模試に理科が加わるようになってから、点数が取れなくなりました。中学時代は、最初から都立の高校入試を受ける予定はなかったので、私立で必要な英語・国語・数学を重点的に勉強していました。そのため、理科の基礎的な知識も抜けていたのはきつかったですね。さらに数3が入ってきたので、覚える量も次第に増え、授業に追いつけなくなってしまいました」
現役時には東大・医学部を諦める
高校受験のときのように大学受験でも早慶を受けるのであれば、科目数を増やさなくてもよかったはずですが、高校時代の陸さんは、東大か医学部に入ろうと考えていました。
「高校入試で落ちたから、また早慶を受けるのも違うかなと思っていました。中学のときから六大学で野球をしたかったので、高校3年生のときは東大に行ければいいなと考えていました。また、小さいころから親が医者の友達が多くて、医者という仕事にも興味がありました。いちばん入りたいのは東大だけど、医学部も目指す、という感じで勉強していました」
夏の大会が終わって引退した高校3年生の8月からは東進ハイスクールに通いはじめ、本格的に受験勉強をスタートした陸さん。しかし、勉強し始めてしばらくしてから、この年のうちには合格するのは難しいと感じたそうです。
「夏に受けた駿台のマーク模試で偏差値が40くらいだったことだけは覚えています。『30じゃなかったわ!』という感じでした(笑)。だから、もうこの年はまず、センター試験で点数を取るための勉強をしようと思いました」
野球部のときからの習慣であった朝7時半に登校して勉強を続けながら、それまで野球をしていた時間もすべて受験勉強に費やした陸さんは、センター試験では60%を確保します。しかし結局、この年は数学のみで受験ができた群馬県の大学を試しに受けたのみ。その大学も落ちて1浪が確定しました。
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