「三つ子で1人だけ浪人した」彼が2浪で掴んだ道 次男は早稲田、三男は米国の大学に進学したが

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こうして「医学部に行くためには浪人するものだと思っていた」という理由で浪人を決意した陸さん。次男は早稲田大学の政治経済学部、三男はアメリカの大学に進むことが決まりましたが、自分だけ浪人することに対して「心細い」という感情はなかったそうです。

「周囲にも医学部受験をする人が多かったのですが、普通に高校で勉強をしていた人が1浪してようやく受かるところだとわかっていました。僕はその子たちよりも勉強時間が少ないので、1浪は仕方ないと受け入れていましたし、医学部は浪人しないで受かるようなところではないとも思っていました」

この年は志望を医学部のみに変更し、駿台予備学校の市谷校で浪人生活を始めた陸さん。8時10分の開館から21時の閉館までずっと予備校で缶詰めになって勉強し続けたかいもあり、頑張ったらどこかの大学の医学部には受かるかもしれないくらいの成績にまで持っていくことができました。

「過去問を解かなかった」のが失敗に

陸さんのこの年のセンター試験は70%前半に終わったため、国公立の医学部は断念したものの、私立の医学部に10校程度出願しました。しかし、1月から大学を受け続ける中で、初めて自分の勉強法の失敗に気づかされたそうです。それは、「過去問を解かなかったこと」でした。

「当時の自分は、どの科目でもレベル別に分かれた問題集をやっていました。その問題が100%解けない状態で、過去問をやる意味があるのかと疑問に思っていたのです。でも、私立大学は制限時間や問題の形式が大学によって異なります。過去問を解かないと、問題の解き方や、1問にかけられる時間などがわかりません。私は現役のときに1校しか受けなかったこともあり、入試シーズンに入るまで、過去問の大事さに気づけなかったのです」

濱井正吾 浪人 三つ子
浪人時代の陸さん(写真:陸さん提供)

後期入試が2〜3月にあった埼玉医科大学と杏林大学の医学部は、あわてて過去問をやったこともありどちらも1次試験は突破したものの、それ以外はすべて1次試験で不合格に終わります。

1次試験を突破した2校も2次試験で落ち、結局1浪目の受験はすべて不合格で終わりを告げました。

1浪で全落ちしたことで、過去問の重要性に気づかされた陸さんは、再び駿台市谷校に通い、2浪することを決めます。

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