人生諦めた「自称・弱者男性」に僧侶がかけた言葉 他人の人生の「脇役」として生きてはいないか

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自分、『弱者男性』ですから」という方のお話を聞いたことがあります。

曰く、収入は少ない、容姿もよくない。学校でも会社でも、これといった褒められた記憶もない。このままでは結婚できるとも思えない。誰かに虐げられていて社会の最下層にいる気がしてならない。救われたい。幸せになりたい。

そんな苦しい胸中を正直に明かしてくれました。禅僧として、この男性にどんな言葉をかけるべきか、私も悩みました。

さまざまなお話をしたのですが、ひとつ気になったこともお伝えしました。

それは、

自分の人生はこんなもんなんだ

自分ではどうすることもできないんだ。努力しても仕方がないんだ

とでもいうような「諦め」の気持ちが感じられたことです。

まるで、自分が人生の「主人公」であることを忘れ、誰かの人生の「脇役」として生きているかのようです。

他人のモノサシで自分をはからない

その男性だけではありません。私たちはしばしば自分が主人公であること忘れ、人生を見失いがちです。

自分と他人を比較しては「収入が低い」「容姿が悪い」などと、ネガティブな想念を膨らませてしまうのも、そのためでしょう。仕事や家庭に忙しい人たちも、たくさんの用事に追われるばかりの「受け身」の人生を強いられがちです。

そういう人たちの特徴は「~させられている、やらされている」という意識が強いことです。その意識を払拭しない限り、主人公にはなれません

私が申し上げたいのは、あなたがどのような境遇におかれていても、主人公として生きることを諦めてはいけない、ということです。

あなたの人生は、あなたのみが生きているあなた自身の人生であり、絶対的なものです。他人の人生との比較など、はじめからできるはずがありません

人と比べて才能があろうとなかろうと、心から「やりたい、好きだ」と思うのであれば一生懸命やればいい。自分流を貫いて生きればいい

その結果がどうなろうと、さしたる問題ではありません。こうした態度でコツコツ努力を続けるうちに、収入の多寡や外見の良し悪し、友人や恋人の有無など、周りが押し付けてくるモノサシによる評価など、取るに足らないものだということがわかってくる。それがなにより大切なのです。

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