栃木の名門ゴルフ場「花火大会」「街コン」の"勝算" イメージ変えるチャレンジングな取り組みとは
ところが、バブル期には100億円を超えていたグループの売り上げは、バブルがはじけ、またゴルフ場の預託金問題などでガタ落ち。経営は厳しい状況になっていった。
現在54歳の範治氏が経営に関わり始めたのは、28歳のときだ。
青山学院大学でレギュラーのラガーマンとして活躍し、卒業後は第一勧業銀行(現・みずほ銀行)に就職。社会人リーグの選手として活躍していた最中だった。
非摘出子だった範治氏は、父親の文雄氏からは「事業を引き継ぐ必要はなく、自分のやりたいことをやれ」と言われていた。しかし、鹿沼グループを率いていた文雄氏が脳梗塞で倒れると、銀行マンだった範治氏に後継者としての白羽の矢が立った。
金融負債550億円、そのうちの350億円をメインバンクの足利銀行から借りていた。
「後から聞いた話ですが、父が倒れる前から厳しい状況で、倒れる直前に銀行管理となる話が出ていました」(範治氏)
これまでゴルフの経験も、経営の経験もなかった範治氏。引き受けるかどうか悩んだ末に、経営に参加した。もちろんラグビーからも離れざるをえなかった。
そして、経営再建に社員一丸となって取り組むこと2年。単年度黒字に転換するも、2004年にメインバンクが一時国有化となったことで、ほかの金融機関からも支援が得られなくなる。負債は1216億円に上っていた。
海外ファンドからの買収の話もあり、売却も検討するなかで民事再生法の道を選ぶ。弁護士が取締役となり、範治氏は執行役員として再生に取り組んだ。
「経営を引き受けて以来、いろいろと取り組んだ結果から、自分たちで再生できると変な自信みたいなものが芽生えていましたね」と範治氏。実際、2007年に再生計画が終了し、2008年に範治氏は鹿沼グループの代表取締役社長に就任した。
ゴルフ場でイベントを始めた理由
しかし、なぜゴルフ場でゴルフ以外のことを始めることになったのか。
花火大会などのイベントは、自分たちで工夫してやっている。「お金がないから、自分たちでやるしかないんですよ」と範治氏は笑う。
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