これらは戦後の1945年から1948年までに生まれた団塊の世代、第一次ベビーブームによる大学生人口の増加を見越した経営戦略といえる。おかげで日大では、1957年に32億円しかなかった大学の収入が1968年には3000億円に達した。およそ10年で100倍の収入増という計算になり、古田の名声はますます高まった。
参考までに2024年6月時点の日本の大学生数を見ると、ダントツの1位が16学部86学科を擁する日本大学のおよそ7万人だ。高校や小中学校の生徒・児童などを含めると10万規模である。卒業生は120万人を超える。現役学生数の2位がおよそ5万人の早稲田大学、3位が3万人の立命館大学と続く。日大と同じようにマンモス大学と呼ばれる近畿大学は6位、東海大学は10位と意外に少ない。
各学部が事実上の単科大学として独立
古田のつくったマンモス大学の特徴は、各学部が事実上の単科大学として独立してきたことにある。たとえば法学部には7000人の学生がいる。
それは総合大学の旧帝大や国立大学に匹敵する規模であり、経営的にも独立できる。学部の独立採算という意味は、それぞれの学部ごとに学生課があり、学生たちを管理していることを指す。いわば単科大学の集まりが日大であり、古田がそのシステムをつくったのである。日大の理事経験者である岩本彪(仮名)にその仕組みを尋ねたところ、以下のような説明をする。
「OB組織である校友会も全部の学部に置かれています。なので、OBが就職活動などを含めてきめ細やかに面倒を見るわけです。それで人気がある。法学部なら、たとえば他大学の法科大学院で司法試験を受けて落ちた学生が評判を聞いて改めて日大の法学部の司法科研究所に入るケースまでありました。そこではブースを設置した受験体制を敷いていて、卒業生の弁護士が指導する。慶大を出て日大にやってきた学生が司法試験に合格なんてこともありました」
就職指導自体はどこの大学でもやっているが、学生にとっては専門分野の学部ごとの説明会は心強いのだという。
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