この「単科大学」を束ねているのが、日大本部である。そこにも学生部があり、就職指導をする。卒業生が本部に招かれて就職説明会などをおこなうのだそうだ。本部の就職活動の世話は、総勢120万の卒業生に呼びかけることができるだけに、そのスケールメリットが大きいのかもしれない。
近大の源流は日大
ちなみに先に触れた近畿大学は、日大が1925(大正14)年に大阪で造設した日本大学専門学校と1943(昭和18)年創立の大阪理工科大学が、終戦後の新学制により1949年に合併した私学である。関東大震災に見舞われた日大が平沼総長、山岡学長の下、大阪に足場を築くためにつくった専門学校が母体となっている。近大のHPなどではなぜかそこには触れず、世耕弘一を大学の創設者としているが、もとをたどれば日大に行き着く。
実のところ初代総長・理事長となった世耕と日大との縁も深い。和歌山県の寒村に生まれた世耕は、新宮市内の材木商に勤めたあと上京して日大に入った。大学卒業後、いったん朝日新聞に入り、新聞記者を経て戦前の1932(昭和7)年に衆議院議員に初当選する。
そこから終戦後に新たな大学制度がスタートすると、日大傘下の大阪専門学校と大阪理工科大学を合併させ、近畿大学を創設したのである。
近大では、初代総長の弘一の引退後、長男である政隆が2代目総長となったが、衆議院議員に転身した。そこで、三男の弘昭が3代目総長となる。元自民党参議院幹事長の世耕弘成は弘昭の息子であり、4代目理事長と参議院議員という二足の草鞋を履いてきた。自民党安倍派の政治資金問題により、理事長退任の声があがったのは記憶に新しい。世耕一族は政治一家であり、近畿大学経営一族でもある。
およそ120万の卒業生を輩出してきた日大に対し、近大も57万の卒業生を誇る。西日本一のマンモス大学である近大の源流は日大といっていい。
そして、そこまで日大を大きくした立役者が古田にほかならない。1966(昭和41)年4月、この古田を身元保証人として日大法学部に入学したのが、元商学部教授の根田正樹である。こう振り返った。
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