「古田重二良先生は戦後の日本における私立大学の歴史そのものを体現しているような方でした。JR飯田橋駅近くの東五軒町というところにご自宅がありました。私は古田先生と同じ秋田出身ということから、身元保証人になっていただき、そこに住んで大学に通いました」
根田は大学卒業後に商学部教授になる。
「大学に入学するにあたって保証人が2人必要でしたけれど、秋田出身で東京には誰も知り合いがいません。なので、両親が隣人に相談したところ、『郷里の先輩である古田先生に相談してみたらどうか』とアドバイスしてくれ、先生に連絡したのです。それで、古田先生から『うちは寮をやっているのでここに住めばいいよ。俺が保証人のハンコを押してやる』という言葉をいただき、先生の自宅兼寮にずっと住まわせてもらいました。地方出身の学生にとってはありがたかった。たしか3食付きで、ひと月の寮費が6000円だったと記憶しています」
自らの私財を提供した古田
もともと古田は東五軒町にあった自宅を男子学生に提供していたという。ほどなく日大に女子の学生がポツリポツリ入学するようになり、女学生のために5階建ての学生寮に建て替えた。
そのため古田一家は矢来町の小さな家に居を移し、5階建て寮の1階を女学生向けの宿舎とし、2階から5階までを男子向けにした。急速に増えた日大生のために自らの私財を提供したのだという。元商学部教授の根田は恩師のことを温かく分析する。
「古田先生は良くも悪くも、いろんな意味で教育に人生を尽くされた方だと思います。あれだけ日大を大きくした功労者に違いありません。私腹を肥やしたわけではなく神楽坂のご自宅も質素でした」
古田は日本に私学助成制度を導入するため、政治力を発揮した。根田はこう言う。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら