「移民」「外国人」と聞けば嫌悪感を抱く日本人の本性 「アジア人」と自覚すればつまらない感情は消え去る

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1900年にイギリスに留学した文豪・夏目漱石は身も心も疲れ果て帰国するが、それは夏目漱石の身体的特徴が『素顔の日本』で挙げた引用のような身体的特徴を持っていたためだ。その劣等感が彼の目をアジアに向けさせるが、夏目漱石は滞在中の日記でアジア、とりわけ中国を見直している。

「日本人を観てシナ人といわれると厭がるは如何。シナ人は日本人よりも遙かに名誉ある国民なり。ただ不幸にして目下不信の有様に沈淪せるなり。心ある人は日本人と呼ばるるよりもシナ人といはるるを名誉すべきなり。たといしからざるにもせよ、日本はいままでどれほどシナの厄介になりしか。少しは考えて見るとよからう。西洋人はややもするとお世辞にシナ人は嫌いだが日本人は好きだといふ。これを聞き嬉しがるは世話になった隣の悪口を面白いと思って自分方が景気がよいときいふお世辞を有り難がる軽薄な根性なり」(『漱石文明論集』岩波文庫、304~305ページ)

夏目漱石の外国人観

これは夏目漱石がロンドンにいた時代の日記に書かれたものである。当時の日本人のイギリスでの劣等感は、日本以外のアジアに対する優越感によって償うしかなかったのだ。

今でも、海外にいる日本人はややもすると、中国人と見間違えられることを恐れている。それは長年東京に住んだ田舎者が、東京で田舎者だと見間違われたときに感ずる、面はゆい感情のようなものだ。

私自身も海外に住んでいたとき、そうした感情にとらわれた。ヨーロッパに同化したいという気持ちが中国人だと思われたくない一種の見栄を生み出し、中国人と見られることを妙に恥じ入る気持ちを生み出したのである。

確かに漱石の言うように、日本はとても長い間中国の世話になっている。今少しばかり中国が落ち目だからといって、小馬鹿にする気持ちは言語道断というしかない。

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