「住みたい街」として有名な流山市で起きる不穏 井崎市長肝煎りの観光振興企業が経営不振に

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

市が流山本町の観光推進を掲げるのは、NTDが初めてではない。ツーリズム推進課が設置される4年前の2012年にも、大正12年建築の足袋販売店を改装したイタリアンレストランとベーカリーをオープンさせた。市からの補助金を得て経営を始めた会社は茨城県に本社を置く民間企業で、オープン当初は「流山本町の新名所になる」と期待が寄せられた。しかし、予想したほどの売り上げは立たず、運営会社は撤退してしまう。

NTDの社長は門脇氏から吉河氏に交代したが、辞任した理由は業績不振だけだったのか。現在も市から公の説明はない。

こうしたことが続き、流山本町では井崎市政の評価が二分している。地元の歴史的経緯を見てきた住民からは「現在の流山の発展は、歴代市長の秋元大吉郎氏や眉山俊光氏が築いた基盤があるから。井崎市長は宣伝がうまいだけ」という手厳しい指摘がある。

人口増は「井崎市長の成果」なのか

井崎市長が市長に就任したのは2003年。メディアに登場する際はたいてい「流山おおたかの森地区」をはじめとするTX沿線部の開発事業が高く評価される。確かにTXの開業は井崎市長就任後の2005年だが、流山への誘致が決まったのは1985年の秋元市長時代。現在は大型ショッピングモールやマンションが立ち並ぶ「流山おおたかの森地区」の開発も、流山市からUR都市機構へ事業要請があったのは1991年、土地区画整備事業が始まったのは2000年で、どちらも秋元・眉山時代だ。

TXの開業が沿線地域全体を押し上げたのは間違いない。流山市以外でもTX沿線に位置する埼玉県八潮市や同三郷市、千葉県柏市、茨城県つくば市などでは、やはり人口が増加している。観光振興策の顛末を間近で見てきた流山市民らが「マーケティング力だけで街が発展するならば流山本町の観光事業も成功するはずではないか」と井崎市長の手腕を疑問視するのも無理はない。

次ページ「礼を欠く」と取材拒否
関連記事
トピックボードAD
政治・経済の人気記事