ヤマザキマリ「飢えは多くのことを教える」の真実 実体験で腑に落ちたラテン語の格言が意味すること
待っていても運は来ない。自分で行動を起こしたほうが運に当たる確率が高いというのは、そういった経験を踏まえても確かにあるような気がします。
飢えは多くのことを教える
ラテン語:こんな格言も、ヤマザキさんは選んでいます。
multa docet fames「飢えは多くのことを教える」
ヤマザキさんはイタリアでの貧困生活からいろんなことを学んだという話ですが、やはりこの言葉の通りでしょうか?
ヤマザキ:まさにこの言葉通りです。まるで私が生み出した格言のようです(笑)。あらかじめ貧乏覚悟で入った美術の道ですが、実際、本当に食べるものもなく、借金だらけになってくると、毎日が苦しくて仕方がなくなります。
「なんでお金がないんだろう」「どうして自分はお金を得られないんだろう」という考えが次第に「なぜこの世に金なんてものがあるんだ」「資本主義はひどい」などと、どんどんアグレッシブなことを考えるようになって、性格も歪んでいきます。お金を持っている人を羨ましく思ったり、妬ましく思ったり。本当に明日どうなるかわからないくらい飢えた状態に置かれないと、芽生えてこない感情というのが実はたくさんあるのです。
社会から見捨てられたような疎外感、自分という存在を維持する苦しみ、理想の崩壊に伴う悲しみ、孤独感。最悪な感情ばかりですが、客観的に捉えると、これらの心情はすべて人間に備わっているわけです。なかったらもっと楽なのに、あるわけですよ。
つまり、人間として生きていくうえで経験しておいたほうがいい感情だということです。嫌だけど、免疫として身につければ自分も丈夫になるし、後で絶対役に立つ。それは言い切れます。
一回貧乏を経験すると、多くのことが怖くなくなります。「今ここで多少お金がなくなったとしても、最悪あの時の状況に戻るだけだし、ま、いっか」などと大胆になれる。その大胆さがまた、事態を打開してくれる。「運は勇敢な者の味方をする」に結びつきますね。
ラテン語:私の場合は、外国語をやっていることが「飢えは多くのことを教える」と、ある面では通じる気がします。学校の教科のなかでも、特に英語はそれができるだけで職にありつけるはず。そう考えて英語学習に力を入れたこと。これが今の仕事に繋がった実感があります。
これが他の教科では果たして自分がありつけるほど多くの働き口があるのか。もちろん語学以外の教科を否定はしませんが、少なくとも私の場合は、将来を見据えた時、それまで得意科目は数学だったにもかかわらず、英語に注力することを決断しました。