タクシー乗り放題1円「昭和の始まり」どんな時代? 「2025年は昭和100年!」当時を振り返る
昭和4(1929)年、『東京行進曲』が佐藤千夜子の歌で大ヒットした。同年に公開された同名映画の主題歌である。問題はその歌詞だ。
「昔恋しい 銀座の柳」で始まる『東京行進曲』の第4連は、「シネマ見ましょか お茶飲みましょか/いっそ小田急で 逃げましょか」となっている。
だが、磯田光一の『思想としての東京』(講談社文芸文庫)によると、ここの歌詞はもともとは、「長い髪して マルクスボーイ/きょうもかかえた 赤い恋」というかなり過激な内容だった。
これは、「大衆」と「プロレタリアート」という二つの影が、サブカル的に重なり合った奇跡的瞬間であった。
「大学は出たけれど」の時代へ
昭和はやがて、暗黒の時代へと向かってゆく。その予兆は、同じ昭和4年の流行語「大学は出たけれど」にも現れていた。
端的にそれは、第一次世界大戦で漁夫の利を得た日本にとって、束の間の好景気の反動を意味した。大卒男子は就職もできず、不遇な「高等遊民」に甘んじるしかなかったのだ。
昭和の名匠・小津安二郎は早速、松竹で同名の『大学は出たけれど』のタイトルで映画を撮っている。
大卒就職率30%という不況下で、大卒の息子は故郷の母親に就職が決まったと嘘の電報を打ち、安心させようとする。しかし、これが逆効果となった。母親が婚約者を連れて上京してくるのだ。息子の嘘を知った婚約者は、母親に真実を知られまいと、カフェで働き始めるという展開になる。
小津監督は、この主題を昭和11(1936)年になって反復する。『一人息子』がそれで、不況時代に苦学して夜学教師となった息子を頼って上京する母親が、妻帯者となっている息子の厳しい現実を見せつけられるのだ。
こうして昭和は、軍部の台頭、世界恐慌の煽りで、全体主義の時代へと舵を切ってゆくことになる。
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