こうした話題は、「まだまだ先のこと」と先延ばしにしたい気持ちもわかります。正月なのに不謹慎と思うかもしれません。
しかし「これからどう過ごしたいか」というテーマは、元気なときほどフラットに話せるもの。本人の意向を家族が把握できていれば、いざというときに判断するための大きな助けにもなります。
そういう意味では参考になりそうなのが、筆者が診たAさん(80)のケースです。
親の意向が残された人の気持ちを助ける
Aさんは脳出血を起こして倒れ、救急車で運ばれたものの、脳出血の後遺症の影響により、入院期間中にほとんど会話ができなくなり、反応するのも難しい状態になってしまいました。
さらにAさんは入院中に持病の心不全も悪化。主治医からは「これ以上治療しても、回復の見込みがない」と判断されてしまいます。
「最期を家族で一緒に過ごしたいなら、自宅に帰ったほうがいい」という主治医の言葉を受け、家族はAさんと自宅で一緒に過ごす決断をしました。
ところが退院直後、Aさんの体全身にひどい発疹が出てきました。これは脳出血の後遺症や心不全などとは別の新たな問題で、きちんと治療をしないと深刻な事態を招きかねません。
Aさんの在宅医として関わっていた筆者は、「病院での治療が望ましいかもしれません」と家族に伝えました。もちろん、今回の入院は延命治療のためではなく、発疹の治療であり、治る見込みがあるものです。
しかし、Aさんはかねて「延命治療はしないでね。できるだけそっとしておいてね」と家族に伝えていたこともあり、家族には「もともとの病気で限られた時間しかないなか、これ以上の入院は避けたい」という思いがありました。
余命が限られているなかで、このまま家でできる治療を続けるのか、それとも一度病院に戻って、発疹の治療を受けるのか。
本人の意思を知ることが難しいなか、判断は家族に委ねられました。
結局、この家族はAさんの意向をくみ、家で過ごすことを決めましたが、機会があるたびに、「どう過ごしたいか」という本人の意向を聞くことは、このような判断に迷うような状況においても、大事な判断材料として家族を後押ししてくれます。
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