学生の側も、この言葉を聞きたくて質問する。一方、教師の側でも、質問によって自分が利益を得たことに対する感謝の気持ちがあるのだろう。実際、質問を受けた教師こそ、最大の利益者である。「よい質問」を受けたことで、教師も新しい世界を開くチャンスを得たからだ。
私は、日本に帰って教壇に立つようになってから、アメリカの教師の真似をして、「それはいい質問だ」を連発するようになった。その都度、大きな利益を受けたと実感したからだ。
テーマがあれば、地球を動かせる
上で「質問」と言ったことを、「テーマ」と言い換えてもよい(ただ、テーマはもっと全体的で体系的なものを指すことが多い。質問は断片的で、体系的とは限らない)。
論文を書くのに最も重要なのは、「いいテーマ」を選ぶことだ。それができれば、論文の8割はできたようなものだ。アルキメデスの真似をして、「私にテーマを与えよ。そうすれば地球を動かして見せる」と言ってもよい。
これが正しいことは、その後さまざまな文章を書くようになって、明確にわかった。よいテーマさえ見出せれば、それについての文章を書くのはそれほど難しいことではない。「よいテーマが見つからないから書けない」のはほぼ自明だが、その裏命題(対偶命題の逆命題)も真なのである。
アメリカの大学院の学生は、コーヒーポットのある小さな部屋に三々五々集まって、雑談をする。雑談の中からテーマを見出そうとしているのだ。大学や研究所で最も重要なのはここであることもわかった。
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