あなたにも出来る!社労士合格体験記(第44回)--社労士試験では「飲食店」の例外を押さえよう
私は大学時代に、ビッグバンドジャズのクラブ、MMS(モダン・ミュージック・ソサエティ)に属し、アルトサックスを演奏していました。ところが、バンドは人数不足状態に悩み、バンドマスターとなった3年生の秋には部員が10人割れ。しかし、必死の勧誘が奏功したのか、翌年、新入生が多数加入して、なんとかメンバーがそろいます。
結局、4年生の秋からコンサートマスターとなり、1年留年して勉強も就職もそっちのけで、クラブ活動に打ち込むことに。集大成の1年間はミュージカル、食堂ボール(ダンスパーティ)、山野ビッグバンドコンテスト、定期コンサートと、派手なイベントをこなしました。全てに達成感があり、楽しかったのも事実ですが、作り上げていく過程では、山あり谷ありでした。
そのときバンドマスターとして支えてくれたのがトロンボーン担当の小野健一くんです。そんな苦楽をともにした仲間が、なんと40代後半にして脱サラで「おでん屋」を始めるというのです。
鶴さん、亀さん、エイトマ~ン♪
小野君は青森県八戸出身です。学生時代のコンパではいつも八戸小唄を歌ったので、私の脳裏には今でも、お囃子の「鶴さん、亀さん、鶴さん、亀さん、鶴さん、亀さん、鶴さん、亀さん」が、こびりついています。
カラオケもまだない時代でしたが、私も宴会となれば、「走れ、エイトマ~ン」と踊ったり、サザンよろしく「胸騒ぎの腰つき~」と飛び跳ねたり、酔いつぶれるまで歌い続けるほど、破天荒でおおらかな時代でした。
卒業後、彼は20代、30代と、外資系企業を次から次へと転職していきました。当時、転職とは無縁だった私は、その変わり身の早さに唖然。ただ、40代半ばにしてサラリーマン生活に疑問を感じ始めたようです。奇しくも、私も45歳で20年以上勤めた会社をやめ、自分探しの試行錯誤が始まります。