作者亡くなり18年『わかったさん』復活の軌跡 挿絵担当・永井郁子さんが悩みながら奮闘
私は長らく、寺村先生の作品の挿絵だけをやってきました。
だから、寺村先生が病気になられて書けなくなってからは、パタリと仕事がなくなって。
そんな時、私と同じように「王さまシリーズ」で寺村先生の挿絵を担当していた和歌山静子さんにこう言われました。
「オリジナルをやらないとダメよ。絵だけ描いててもダメ。あなたなら文章も書ける。これだけ寺村先生のそばにいて、先生の文章も体の中にしみ込んでるんだから。絵は私が描いてあげるから」って。
その構想は実現しませんでしたが、和歌山さんにエールをもらって、決めました。文章を書いてみようと。
でも童話なんて書いたことないから、一行も書けないんですよ。
これはちゃんと勉強しなきゃと思って、童話作家の山下明生さんに習いに行くことにしたんです。
童話の歴史からファンタジーの構造なんかも、山下先生にみっちり教わりましたね。
でも売れないんですよ。一冊でも多く子どもたちに届けなきゃと思って、いろいろなところに絵本の読み語りに出かけました。『ブォォーン!クジラじま』のビデオを作って、人形を持ちながら踊って……。本当に必死でした。
頑張って4巻まで出したけど、いずれも初版止まり。今思えば、よく4巻も刊行してくれましたよね。
「永井さんなら!」と期待していただいた出版の機会だったけれど、結局私は寺村さんの七光りでしかなかったんですよね。
物語を、挿絵担当が作ることへの葛藤
その後も文章を書く仕事は続けてきたけれど、やっぱりうまく結果につながらない──。
そんな中、私が今回いちから物語を書いて新刊を出すきっかけになったのは、『わかったさん』のグッズ化でした。
販売に伴ってサイン会を開いた時に、すごい数のお客さまが来てくれたんです。中には「仕事でつらい時も『わかったさん』を読めば頑張れる」と涙を流しながら伝えてくれる方もいました。
今もこんなに愛してくれている人たちがいるのなら、『わかったさん』を復活させる価値はあるのではないか。