「インバウン丼」食べない人にも批判された深い訳 テーマパーク化するニッポンに、どう向き合うか
まさに外国人(それも裕福な)に「選択」されたテーマパークが「ニセコ」であり、近年の日本の観光地でもこのような場所が増えているのだ。
一方、「選択と集中」は当然のことながら、「選択されなかった人」を生み出す。やや強い言い方だが、ある層の「排除」を生み出すわけである。
実際、ニセコのニュースが報道されるにあたって「日本人は相手にされていない」とか「日本人お断りなのか」などといったコメントがしきりに言われ、そこでは否応なしに「日本人排除」が意識されている。
筆者はこうした現象を「ニセコ化」と呼んで、来月発売する書籍『ニセコ化するニッポン』の中で、その現象がどのように日本に広がっているのかを考察している。
話を戻せば、千客万来もまた、こうした意味での「排除」を日本人に感じさせているのだろう。
高額なインバウン丼が報道されることによって、どこかその場所について、外国人だけが選択され、日本人は排除されているように感じてしまう。
そのことに対する言いようのない不快感を、多くの日本人が感じているのかもしれない。だからこそ、このような反応が生み出されてしまうのだ。
大阪でも起こっている「テーマパーク化」への反発
日本が「外国人向けのテーマパーク」のようになっていくことへの反発は、他の場所でも見られる。
例えば、大阪にある黒門市場などはその代表格だ。この場所でも、一部の店頭には数千円する牛串が英語の表示とともに売られていたり、外国人向けのショップが軒を連ねていたりする。
確かに筆者もここを歩いたとき、数万円はくだらないカニや、ウニの盛り合わせに驚いたことがある。だから、それは事実ではあるのだが、そうした外国人向けの高額商品を提供する商店は、商店街の一部に過ぎない、というのもまた事実だ。
ただ、報道などの影響もあって周辺の地元民や、そこに関係のない日本人から黒門市場はすっかりネガティブな印象がついている。一部では「大阪の恥」という根も葉もない称号さえ与えられるほどだ。
地元民にとって、直接「買い物しづらい」という被害も出ているのかもしれないが、ほとんどの人は、こうした黒門市場周辺の事情とは無関係である。にもかかわらず、その評判がこうも広く、そして熱く語られるのは、やはりそこで起こっている「日本人排除」(のように見えるもの)に対する感情的な反発があるからだろう。
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