「低アル飲料」を喜んで飲む人が知らない"真実" むしろ時代によってその基準は変化してきた

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その一方で、課題というと大袈裟かもしれないが、今は完全にノンアルしか飲んでいない筆者が感じたことがある。それは、微アルどころかノンアルを置いてあるかどうかの地域差が激しいのだ。

微アル飲料の写真
昨今、販売量が拡大している微アルコール飲料。しかし、置いてあるかどうかは地域差が大きい印象だ(編集部撮影)

例えば筆者は東京23区外の住宅街に住んでいるのだが、ここではコンビニやスーパーマーケットには、最低3種類のノンアルと微アルがある。低アルは入れ替わりが激しいくらいだ。

ノンアルコール飲料
味の改良が進み、満足を得やすくなったノンアルコール飲料。だが、置いてあるかどうかは地域差が大きい印象だ(筆者撮影)

しかし、これが渋谷や新宿になるとノンアルが2種類あればいいほうで、基本的には置いていない。むしろ、ノンアルよりも微アルを探すほうが難しいときもある。単純に繁華街でノンアルや微アルは売れないということだろう。

東京はまだいい。これが地方になると、もはやノンアルですら置いていないこともザラにある。親戚の集まりで地元・福岡に帰ると、ノンアル依存症と化した筆者はゾンビのように、ノンアルビールかノンアルレモンサワーを求めて、博多と小倉を徘徊していた。

まぁ、これも福岡という地域柄かもしれないが……。

ノンアルの選択肢を広げることが先決?

前編の記事では昨今の「適正飲酒」や、あえて飲まない「ソバーキュリアス」という考え方、さらにお酒を飲む人と飲まない人が尊重し合える社会を目指す「スマートドリンキング」などの理念について、筆者なりの見解を述べた。

端的に言えば、「笑止千万」「みんなメディアに踊らされているにすぎない」「そういう理念のもとで、微アルや低アルで満足できる人々は、酒がなくても豊かな人生を送れているはずだ」と一刀両断したわけだが、実態としては、「適正飲酒」の理念はまだまだ日本各地にまで届いていないのだろう。

事業と、社会的責任の両立のため、さまざまな工夫を重ねている酒類メーカー。今後どんな状況になっていくのかは現段階では予想できないが、少なくとも、ノンアル、微アル、低アルという選択肢を広げていくことが先なのは間違いないだろう。

千駄木 雄大 編集者/ライター

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せんだぎ・ゆうだい / Yudai Sendagi

編集者/ライター。1993年、福岡県生まれ。奨学金、ジャズのほか、アルコール依存症に苦しんだ経験をもとにストロング系飲料についても執筆活動中。奨学金では識者として、「Abema Prime」に出演。編集者としては「驚異の陳列室『書肆ゲンシシャ』の奇妙なコレクション」(webムー)なども手掛ける。著書に『奨学金、借りたら人生こうなった』(扶桑社新書)。原作に『奨学金借りたら人生こうなる!?~なぜか奨学生が集まるミナミ荘~』がある。毎月、南阿佐ヶ谷トーキングボックスにて「ライターとして食っていくための会議」を開催中。

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