元TVアナ「シングルファーザー」になり知った現実 妻を病気で亡くした清水健さんが語る「難しさ」
多分、「助けてほしい」と言えば、周りの人たちは助けてくれたと思うんです。助けを求める手を振りほどくような社会ではない。
でも、当時の僕はどうしても「助けてほしい」と言えなかった。「僕のしんどさなんて、誰にも分かるわけがない」と勝手に心のシャッターを閉ざして、曇った目で社会を見てしまっていた。
シングルマザー、シングルファーザーに限らず、マイノリティーな立場にいる人たちが、周囲の人に助けを求めることのハードルは思った以上に高い。これはシングルファーザーになって初めて気付いたことでした。
こんな状態でカメラの前に立っていいのか。こんな自分が父親を名乗っていいのか。中途半端な自分が許せないのに、カメラに映る自分は「立派に父親をやりながら仕事も頑張ってるキャスター」として見られている。
そんな現実とのギャップも苦しさに拍車をかけて、結局僕は17年続けたキャスターの仕事から一旦、距離を置くことを選びました。
「YouTubeを見せていた」って言える社会であっていい
会社を辞めてから7年。当時2歳だった息子も、10歳になりました。
仕事では、講演会活動をしながら、フリーランスとしてアナウンサーの仕事も再開しています。また、シングルファーザー向けのオンラインサロンも運営するなど、さまざまなことにチャレンジさせてもらっています。
生活にも心にも少しゆとりが生まれた今、当時の自分を振り返って思うのは、「もっと弱音を吐けばよかった」ということ。
子どもの前でもついかっこつけてしまっていたけれど、子どもに弱音を吐いたっていいんですよね。
「パパちょっと疲れちゃったよ」とか、「今日はもう早く寝ちゃわない?」とか。最近になってようやくこういうことを言えるようになりました。
ただ、弱音を吐けなかった当時の自分を責める気持ちもありません。
困っている人を見捨てる社会では決してないけれど、弱音を吐きづらい世の中ではあると思っていて。これも自分が勝手に思い込んでいるだけかもしれないんだけれど。
例えば、保護者が集まる場で「昨日、YouTubeを6時間見てたんだ~」と子どもが発すると、お母さんがあわてて「1時間でしょ!」ってかぶせる。そんな場面を見ることがよくあります。
でも、手が回らない時はYouTubeだって見せるし、ゲームだってさせる。「100点ではできないこと」を認めてあげられる社会でありたいですよね。