そこで当時の上司から対策を命じられた依田氏は、毎日朝6時から資源物の収集対象地区の隅々まで、収集車が来る時間帯までパトロールすることにした。
そこでは、何者かが市民から資源物を奪い取るように持ち去ってしまう光景を見たり、声をかけて注意をしても無視されたり、外国語で反発されたりしていた。
本来すべき仕事はパトロール後にしかできず、フォロー体制も構築されなかったため依田氏は行き詰まってしまった。結局、「座間市廃棄物の減量化、資源化及び適正処理等に関する条例」に資源の持ち去り禁止が規定されたため、1カ月程度でパトロールは中止となった。
市民からの切実な苦情に立ち上がる
その後、半年ぐらいたったころ、市民から問い合わせの電話があった。
「マンションの集積所に毎日のように“持ち去り”が来ている。子どもら家族が彼らから危険な目に遭っている。自分たちで彼らを排除したい。どうすればいいか教えてほしい」とのことだった。
様子を詳細に伺うと「ごみ集積所に閉じ込められた」「子どもが突き飛ばされた」「持っているものを渡すように脅迫された」「子どもの通学時間帯にものすごいスピードで走り去る」とのことで、市民生活の安全までもが資源物の持ち去りにより脅かされている状況だった。
依田氏は本来ならご近所さん同士が仲良く挨拶を交わす場所であるはずのごみの集積所が危険な無法地帯と化している点に憤りを覚え、「体制が整わなくても俺一人でもやる」と決意し、早朝パトロールを再開した。
そして、持ち去り現場を押さえた際には条例で禁止されていることを伝えていった。外国語でまくし立てる連中には「ここは日本だ。日本のルール、文化を守れ」と日本語で反撃した。
このような依田氏の住民のために立ち向かう姿に同僚や後輩たちは心を打たれ、「僕らも手伝います」と言って一緒にパトロールをするようになった。最大時には6人で3班体制とし、1日当たり約700カ所のごみ集積所をパトロールした。
警察からは「条例違反で告訴するには4回以上の命令違反が必要」と助言された。また、排出された資源物の抜き取りが、集積所の排出エリアとして明示されている場所で行われている必要があるという。これに照らし合わせれば、告訴できるケースは1件もなかった。
一方で依田氏はパトロールを行っているうちに、条例違反での告訴を行うのではなく、「市の職員として市民の生活を守る。さわやかで安心な集積所を提供する」ことが目標となっていった。
依田氏は「時間とガソリンを使っても収穫無しにすれば、座間市には近寄ってこなくなる」と考え、自称「嫌がらせ大作戦」を展開していった。
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