有料会員限定

【追悼・再録】外食王・小川賢太郎、資本主義「革命」の光と影、文字通り「波瀾万丈」を絵に描いたような人生だった

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

有料会員限定記事の印刷ページの表示は、有料会員登録が必要です。

はこちら

はこちら

縮小
(画像:週刊東洋経済2010年11月24日号より)
ゼンショーを創業した小川賢太郎会長が2026年4月6日、心筋梗塞で死去した。享年77。「波瀾万丈」を絵に描いたような人生だった。学生運動から労働運動へ。吉野家の倒産にも立ち会った。“革命的な”理念を掲げ、吉野家をアンチテーゼとして、外食日本一に。そんな小川氏の功罪を描いた15年前の週刊東洋経済「トップの肖像」をお届けする。
(肩書きなどはいずれも2010年11月時点)

群れない小川賢太郎には、ほとんど友人がいない。数少ない一人が、通産官僚から日本サッカー協会専務理事に転じた平田竹男(現・早稲田大学教授)だ。サッカー論議からこの国のあり方まで、会えば話はエンドレスとなる。その平田でさえ、初めて小川の企業理念を聞いた時は、のけ反った。

「世界から飢餓と貧困を撲滅すること」。日々、牛丼を商うことが、どうして、世界から飢餓と貧困を一掃することにつながるのか。

本気である。最初に世界観がある。かのマルクスが言うように、人間は「類的な存在」だと思う。一人ひとりは人類全体の一部としての自分であり、一人ひとりが人類全体への責任を担っている。「だから、地球上に飢餓と貧困があるのはオレのせいだと思っている。自分のことのわけ。撲滅できなければ、オレの責任」。

ゼンショーは原材料の調達から加工・物流、店舗での販売まで一貫システムを設計し、「自分たちが汗をかいて」運営している。日本全国に物流センター24カ所、工場26カ所、店舗が4000店。「これをモデルに世界中でシステムを作る。世界で毎年、1400万人が餓死するが、食料が絶対的に足りないわけではない。偏在している。物流・保管が不備なところで飢餓が発生している」。システム化で世界中の食料偏在を解消し、ゼンショーの成長によって世界の雇用を拡大していく──。

小川賢太郎(おがわ けんたろう)/1948年7月石川県で生まれる。68年東京大学入学。82年ゼンショー設立。昨今のサラリーマンには手厳しい。「上司に気に入られたい、同期を出し抜きたい。精神的に荒廃している。これじゃ、会社は衰退する」。目指すのはトヨタである。「かつて『GMがアメリカ』と言われたように、トヨタが日本だし日本文化。ゼンショーは“食べれる”トヨタになりたい」(撮影:梅谷秀司)

壮大すぎて、にわかに肯ずけない。

が、小川が創業以来、この理念を掲げ、どの外食企業より高速成長を実現してきたことは事実である。一昨年、牛丼店の店舗数で吉野家を上回り、今年、日本マクドナルドの売り上げを抜き去って「外食日本一」の王座に着く。「達成感? 全然。日本マックを抜くためにやってきたわけじゃないんだから」。

東大中退し荷役会社へ 吉野家での“敗北”

フツーじゃない、と思われるのはむしろ本望である。「僕の基本的な考えは、ユニークであること。小川賢太郎は68億人の中に一人しかいないから、価値がある。原田(泳幸・日本マクドナルドホールディングスCEO)さんがどうのこうのは、青森の小学校に算数のできる子がいるぞ、と言われるのと同じ。関係ないだろう、そんなの」。

1968年、小川は東京大学に入学した。「いい時期に入った」。米国が連日、ベトナムを空爆し、街も村も焼き尽くしていた。毛沢東が文化大革命を発動し、カルチエラタンで学生と機動隊が激突した。世界中で矛盾が噴き出していた。

次ページ「革命をやらなければいけない」
関連記事
トピックボードAD