野田聖子議員が「不出馬」に追い込まれた深層 7日夜の岸田派会合が勝負を決めた
こうして切り崩しにあった野田氏は、8日未明に総裁選への出馬を断念する。推薦人に名前を連ねることを承諾した議員の数は10名余りとされているが、実際のところ明らかにされていないために不明なままだ。
では本当に野田氏を支持した議員数は何人なのか。それは報道された人数よりも少ないのではないかと思う。
というのも、7日に野田氏は尾辻氏など支持する議員を都内のホテルに呼び出しているが、ひとりひとりをバラバラに呼び込み、全容を見ることができないようにしているからだ。
携帯電話は鳴らなかった
7日夕方の段階で、ある無派閥の議員に野田氏からの支援要請があったかどうか尋ねたところ、その議員には野田氏から全く接触がなかったことが明らかになっている。
「私の携帯番号は、すでに野田氏のところに伝えられているはずだが、いまのところ野田氏から電話がかかってきていない」
その議員は週末から選挙区に入っており、7日も地元で活動中だった。だがその選挙区までは、東京から日帰りが十分に可能で、もしあと1人か2人で出馬が可能になるのなら、野田氏にとってそれこそ馳せ参じて推薦人名簿に署名をもらいに行くべきところだろう。
しかも、その議員はさほど安倍首相に近くない。頼めば推薦人になってくれる可能性はあった。その証拠に、以前、古賀氏がその議員を食事に呼びだしたことがある。もちろん野田氏の総裁選出馬について「因果を含めるため」であったことは明らかだ。この議員の携帯電話が鳴らなかったということは、20名にほど遠かったに違いない。
8日朝の不出馬会見の後、「2008年の総裁選で、小池ゆり子氏は20名の推薦人を集めて出馬した。野田氏は政治家として小池氏以下なのか」との声も聞かれた。総裁選不出馬の代償は決して小さくはないが、9月に55歳になったばかりの野田氏にとって、諦めの境地に入るのは早すぎるだろう。持ち前のしたたかさをさらにパワーアップして、捲土重来を期してほしいものだ。
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