「半年で辞めてしまった仕事」も無意味ではない 大切なのは「過去」をきちんと意味づけすること

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あれもない、これもない、ではなくて、"ある"と意味づけを変えてみてください。そして"ある"ものを、誰との関係性の中で活かすかで、価値は変わるのです。

キャリアは永遠に未完成な「β版」

キャリアというと、どうしても履歴書に書ける結果だと思い込んでしまいがちですが、実際は履歴書はプロセスシートです。私はキャリアは「永遠のβ版」だと表現しています。つまり永久に未完成のものということです。

たとえば、かつての転職市場では、短い期間で転職をくり返した経歴はマイナスと捉えられていました。「こらえ性がない」とか「協調性がない」といった評価につながってしまう恐れがあったのですね。

しかし、裏を返せば、数々の転職経歴は、自分に合う仕事環境を見つけるために必要なプロセスです。1回、2回で見つかる人もいれば、5回でも6回でも経験してやっと見つけられる人もいます。1社に長く勤めた経験が"ない"とするのか、いくつもの職場で働いてきた経験が"ある"とするのか。捉え方によって意味づけは大きく変わります。

確かに半年や数カ月おきに職を転々としている人がいたら、「何か問題がありそう」と思われる面はあるでしょう。客観的には、そう邪推されても仕方がありません。履歴書からは転職の意味は読み取れないのですから。

でも「半年で辞めるのがよかった」のか「最低でも3年は続けるべきだった」のか、なんていうことに正解はありません。自分に合わない職場を半年で見切ってよかったと思うのも自由ですし、3年は続けたことでさらに学べたと思うのも自由です。自分で意味をつけていくしかないのです。ただ、どう意味づけるにしても、無駄だったということにだけはなりません。

こういう話をすると、自分と同じような人はゴロゴロいるし、自分の過去には何の価値もないと思い込んでしまう人がいますが、そんなことはありません。あなたとまったく同じ人生を歩んで、まったく同じことに悩んだり乗り越えたりしてきた人など、あなたの他に1人としていないのです。

私はこれまでに、たくさんの人に自分のストーリーを聞かせてもらいました。履歴書のようにまとめてしまうと似通ってしまうこともありますが、1人ひとりの歩んできたストーリーはまったく違うものだとわかります。

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