「常に(精神的に)きついと思って勉強していました。成績は伸びませんでしたが、受験を辞めるという選択肢はなく、大学に受からなければ先はないと思っていたんです」
そう考えて3年目の宅浪に突入したものの、この年は前年度より勉強時間がガタッと落ちて10時間程度の勉強になり、気力が出なくなった1月以降は5時間程度まで下がってしまいました。
この年は全体的に記憶がおぼろげで、防衛医科大学校と群馬大学医学部を受験したのは覚えているそうですが、それ以外については思い出せないそうです。
「精神状態が限界で、心療内科・カウンセリングを継続して受けました。もう座っているのがきつくて、まともに頭が動かず、指も動かない状態が続きました。勉強はそれまでと同じようにしていたはずですし、医大も受けたはずですが、この年のことはほとんど覚えていません」
模試の成績が去年と変わらなかったことくらいしか覚えていない安藤さんは、結局この年の受験も振るわず、ついに父親に相談をします。
それは「いくら勉強しても成績が上がらないから、切り捨てたかったら切り捨てろ」という衝撃的な内容でした。
「大きな作物を育てるために苗を引き抜くことを『間引く』といいますが、私はよく親に『出来が悪かったら間引く』と言われていました。だから、弟や妹の進学にもお金がかかるし、家にとって損だと思う人間なら切り捨ててほしいという内容を伝えたんです。
でも、それを伝えたら『普通の人が卒業したとき、お前は無職か浪人なんだからな。(不憫だから)今回だけは予備校代を出してやる』と言われて、初めて予備校に通うようになりました」
4浪目で初めて予備校に通う
4浪目にして初めて予備校に通うようになった安藤さんは、今までの自分のやり方の失敗に気づくことになります。
「やり方が悪かったのです。親は受験戦争を勝ち上がってきたタイプなのですが、その勉強法は丸暗記でした。当時はそれで大学に合格できたのですが、自分たちの世代は覚えたところで、覚えていることが試験でそのまま聞かれるわけではないので、丸暗記だけでは通用しません。
高校のときは知らず知らずのうちに授業で復習をしていたから、成績が保てていたのかなと思いました。あとはやはり、長時間勉強というのは物理的に無理がありました。机の前にいるけど、気がつけば深夜ラジオに集中していたというように、勉強らしい勉強は集中してできていなかったのだと思います」
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