「生成AIのせいで理系は終了?」いま必要なスキル 東大・松尾豊研究室出身 若きAI研究者が回答
生成AIは使う人の知識に依存して性能が変わるAIです。例えば画像認識だと、小学生が使っても自分のようなAI研究者が使っても、同じものが出てきます。将棋のAIもそう。今のAIなら誰が使っても藤井聡太さんにほぼ100%勝てます。
ですが、生成AIは違います。その分野に対する体系的な知識、これはものすごく専門的な知識でなくてもいいと思いますが、ある程度のものを持っていないと、プロンプトを入力することができません。
━━その意味では、理系の課程を学ぶ意味がなくなるわけではない?
大学などで理系とカテゴライズされているもののカリキュラムは、専門家が監修し、非常に長い期間をかけて「これは間違いなく体系的知識として役立つ」と厳選されたもの。こうした専門的な教育を受けることなく、体系的な知識を身につけるのはなかなか難しい気がしますから、その意味では、理系の課程が価値を失うわけではないと思います。
とはいえ、理系の課程自体も今後、いろいろと変わる気がします。スタンフォード大学などでは1年単位でホットな技術が取り入れられ、授業内容は柔軟に変わります。これまでの日本はそうした動きが比較的遅かった印象ですが、生成AIの波を受けて、それくらいのことが起きるのではないか、起きてほしいと思っています。
「自分はこの先も変わり続けるのである」
━━となると、今井さんの考えでは、生成AIの発展が「理系人材の終焉」をもたらすわけではない?
そもそも論で恐縮ですが、僕自身は、大学で文系・理系を分けていること自体がおかしいと思っています。少なくとも僕が、自分をそのようにカテゴライズすることはありません。自分をわざわざ「理系人材」などと括る必要があるでしょうか?
生成AI時代に必要なのは、理系だの文系だのと括るのではなく、「自分は変わり続けるのだ」という気持ちを持つことです。
僕は今、AI研究者として偉そうなことを言っていますが、この先には自動研究の流れも来ると思います。実際、つい先日、研究プロセスの大半を自動でやってくれる「AIサイエンティスト」という技術がSakana AIが開発しました。
こうした技術が進むと、今僕がやっている研究業務の大半がAIで置き換えられるかもしれない。でも僕はそれでもいいと思っています。そうなれば僕はAI研究者以外の道も検討するかもしれません。AIにできないところを集中的にやればいいし、自分が変わればいいじゃないか、と。
いつ、何が変わるかははっきりとは分かりません。ですが、すごい変化が起きてしまうことだけは確実です。「その度に自分は変わるのである」という気持ちを持ち続けることが、非常に重要だと思います。