「一条天皇の願いもド忘れ」道長の意外すぎる一面 強気に見える道長も、いろんなミスをしていた
今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めています。今回は権力を誇った藤原道長の意外な一面を紹介します。
著者フォローをすると、連載の新しい記事が公開されたときにお知らせメールが届きます。
有名な歌の一方で…
「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思へば」。1018年に藤原道長が詠んだ有名な歌です。
「この世は私のためにあるように思う。今夜の満月のように、私に欠ける部分は何一つないと思う」という意味です。栄華を極める道長の、傲慢で、強気な一面が感じられる歌として、教科書でもよく取り上げられてきました。
道長は娘の彰子、妍子、威子を立后させ、「三后の父」となったのですから、このような歌を詠んでもおかしくはないのです。しかし、この歌を詠んだことで、道長には前述のようなイメージがついてしまったように思われます。
実際は必ずしもそうした面ばかりではありません。弱気になったり、愚痴をこぼすこともありました。
例えば、道長はたびたび病に苦しみますが、1000年に重病となったときには、まだ幼い息子の田鶴(後の関白・藤原頼通)のことを「必ず心に留めてくだされ」と藤原行成(蔵人頭。後に権大納言。三蹟の1人であり能書家として有名)に頼み込んだりしています。
トピックボードAD
有料会員限定記事
キャリア・教育の人気記事
無料会員登録はこちら
ログインはこちら