利己的だった故・稲盛氏が失敗から学んだ経営術 30年に渡って支えた特命秘書が語る「氏の言葉」

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そして、この5つの条件は、稲盛さんの若いときの経験から生まれたものだという思いも生まれてきました。

稲盛さんは、最初に就職した松風工業で研究に打ち込み、素晴らしい実績を出し、会社に多大の貢献をしましたが、最終的には新しい技術開発がうまくいかず、新任の上司から「君の能力ではこれまで」と、担当から外されてしまいます。

大きな屈辱を受けた稲盛さんは反骨心を燃やし、「絶対に見返してやろう」という気概を抱いて7人の同志と「稲盛和夫の技術を世に問う」ために京セラを創業しました。

そのとき稲盛さんには、京セラが成功すればこれまで苦労を掛けた両親や家族にも恩返しができるという思いもあったといいます。

利己的な目的で失敗した経験も

業績は順調に推移し、2年目には初めての定期採用として、11名の高卒の新入社員が入社します。

稲盛さんは、彼らも自分たち創業メンバーの思いをわかってくれるだろうと期待していましたが、入社1年後に、彼らは「将来にわたって自分たちの生活を保障してほしい、それでなければ皆辞める」と言い出しました。

それを聞いたとき、稲盛さんは驚きました。

しかし、よく考えると赤の他人である彼らが「稲盛和夫の技術を世に問う」ために頑張ってくれるはずはありません。しかも、稲盛さん自身には、社員より親孝行のほうが大事だという思いがあったのですから、なおさらです。

このとき稲盛さんは、自分が独りよがりで「人の心が読めず」、新入社員から「好かれてもいず」、新入社員の「心の苦しみも、楽しみもわかっていなかった」ことに気が付いたのではないでしょうか。

当初は、彼ら全員が辞めたとしても新しい社員を採用すればいいと考えたそうです。

しかし、「稲盛和夫の技術を世に問う」という利己的な目的を掲げ、社員よりは自分の親兄弟を優先するような考え方では、きっと同じような結果になってしまうだろう。

それでは、いつまでたっても京セラを成長させことも、自分の技術を世に問うことも、親孝行もできなくなる。どうしたらいいのだろうと、稲盛さんは1カ月ほど悩み苦しみました。

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