国語の勉強つまらない人に欠ける"古文の奥深さ" 解釈が色々あるからこそ、学んでいて面白い

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このように習った人も多いと思うのですが、最近の教科書では、句読点が以下のように打たれているケースが多くなりました。

「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく。山際少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」
(春は明け方がいい。明け方はだんだんと白くなっていく。山の稜線が、少し明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいている景色が、趣き深くていい)

「白くなりゆく山際、少し明かりて」なのか「白くなりゆく。山際少し明かりて」なのかの違いです。

ここの点の位置が変わるだけで、「明け方は白くなっていく」なのか、「明け方になると、山際が白くなっていく」なのか、解釈が分かれるというわけですね。

どちらの解釈が正しいのか?

さて、どちらのほうが正しいと思いますか? 実はこの問いの答えは、ありません。どちらの可能性もあるのです。

この当時はまだ、句読点を振るという文化はありませんでした。そのうえで古典文法的な説明をすると、「白くなりゆく」の「ゆく」は四段活用のため、終止形・連体形のどちらの可能性もあります。「ゆく」の後ろに「。」が入るのか入らないのかは、わからないのです。ですから、どちらもありえるわけですね。

「え? 答えがわからないことを習っていたの? それってどうなの?」と思う人もいるかもしれませんが、むしろ、答えがないからこそ、この一節はとても面白いのです。

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