第1志望「神戸大」に"2度不合格"彼の驚くその後 SNSから消えて、成人式も出ることができず

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久保さんは1997年4月21日、兵庫県明石市で鉄道関係の仕事をする父親と、英語教室を営む母親のもとに生まれました。

「子どもによいと思うこと、子どもが興味があることはできるだけやらせてあげよう」という家庭の方針で、幼少期は野球・習字・ピアノ・水泳・空手など、たくさん習い事をさせてもらっていました。

「両親はやりたいって言ったことは全部やらせてくれました。小4から塾に通い始めたことで、当時のテストはほぼ100点で、野球はエースピッチャーの優等生キャラでした」 

彼が生まれ育った明石市・江井島にある学校は、幼稚園から中学校までを同じ仲間たちと一緒に過ごす環境でした。

久保さんは、中学校に上がってからも、小学校から通っていた塾に通い続けた結果、「中学校からは成績が出るようになったのですが、学年で10番以内には入っていました」。

その一方で生徒会に所属し、やんちゃな同級生たちとも仲良くして、コミュニケーションを取っていたために、先生からも「あそこの子、なんとかならん?」といった相談をよく受けて対応していたそうです。

優等生だった久保さんの成績は、たまに4だった美術を除くとオール5。それでも、自分よりもできる人はまだまだいると、謙虚に過ごしていたそうです。

難関校に合格し、厳しい競争の中に…

高い内申点を維持し続けた彼は、市内でいちばんの兵庫県立明石北高等学校の自然科学科を受験して、合格しました。

「明石北高校はスーパーサイエンスハイスクールに指定されていて、NASAやハーバード大学、マサチューセッツ工科大学、MIH(アメリカ国立衛生研究所)などに訪問できるアメリカ研修があったり、日本の研究施設や大学の先生を招いて講義が受けられる環境でした。当時の私は気象・宇宙が好きで、大学でもそういう分野の勉強をしたいと思っていたため、いい学校だなと思っていました」

しかし、高校に入学してからは、中学よりもさらに勉強ができる人たちの中に身を置いて、厳しい競争を経験することになります。

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