高校に入ってからも野球部に入った久保さんは、最初のほうこそ、そこそこの成績を維持できていましたが、厳しい練習のため次第に勉強時間が確保できなくなり、成績が下降し始めました。
「最初の成績はクラスで7/40番だったと思います。でも、野球部の練習がとても厳しくて、疲れて勉強に集中できない日々が続きました。明石北高校自然科学科は、クラスの半分くらいが神戸大以上か、医学部に行くため、みんな頭がよすぎて、(このままでは自分は)やばいと感じましたね。勉強に全振りしていたら、みんなにもついていけたと思いますが、部活も真剣にやっていたので、両立が難しく、いちばん悪いときには38/40位まで成績が落ちました」
1年生のときにはもう肌感覚で「東大や京大に行くのは不可能だ」と感じた久保さんは、神戸大学の理学部を第1志望にして、理系の問題を中心に勉強を続けました。
その当時は、19時に部活が終わって20時くらいから2〜3時間ほど代ゼミサテライン予備校で授業を受けたり、自主的に勉強をしていました。
しかし、神戸大学の判定は進研模試で一度B判定が出たのみで、あとはE判定が続く状況でした。
甲子園を目指して頑張った野球も、3年生の夏に佐藤輝明選手(現在、阪神タイガースに所属)がいた仁川学院に負けてその生活を終えます。
それからは、より受験モードに切り替えて毎日12〜13時間の勉強を続けました。それでも、本人の中では手応えはなく、夏くらいにはもう受からないと思っていたそうです。
野球優先してしまった結果、浪人が確定
「勉強はしていたのですが、野球を優先したことで高1からの勉強不足が響きました。もうこの頃には浪人するしかないと思っていましたね」
この年の久保さんは、センター試験の点数で7割取れなかったものの、神戸大学の理学部に出願し、不合格に終わります。「2次試験はもう落ちることがわかってて受けました」と語る久保さんは、すぐに浪人を決意し、次年度に切り替えました。
浪人を決めた理由は、「プライドと世間体と、『まだ(上に)いけるだろう』という過信」が大きかったそうです。
「さすがに1年あれば、勉強を頑張れば神戸大に行ける」と考えていた久保さんは、実家から神戸のコロンビア学院に通って、毎日勉強に励みました。
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