以前からこの鉄道を知っている方は、「阿里山『森林』鉄道の間違いでは?」と思われるかもしれない。確かに、かつてはそう呼ばれていた。しかし2018年7月1日からは「阿里山林業鉄道」に名称変更されている。
名称変更の背景には、災害だけでなく、時代の流れによる行政間の所管問題や資金難などがあった。
1945年に日本統治時代が終了すると、阿里山鉄道は日本の林野庁にあたる林務局の所管となった。
林務局は2008年からBOT方式により民間に運営を委託したが、2010年には運営委託契約を打ち切っている。民間事業者による台風被害への復旧対応が不十分だったためだ(なお契約を打ち切られた民間事業者はこれを不服として林務局を提訴。長年にわたって裁判で争われた末、2021年に和解した)。
2010年の契約打ち切り後は再び林務局が阿里山鉄道を所管。そして2014年からは台湾鉄路管理局が所管する。
ところが2017年、阿里山鉄道は資金難により消滅の危機に直面する。赤字額は年間3億元(約11億円)と伝えられた。資金難の原因の1つは、1982年に開通した阿里山公路(道路)だった。
「知名度はあるのに稼げない」路線
阿里山公路は、嘉義から阿里山までを結ぶ約90kmの道路だ。阿里山鉄道よりも距離は長いが、台湾のモータリゼーション化とあいまって、1990年代以降、阿里山観光の主要な交通手段となった。対照的に、阿里山鉄道は「知名度はあるのに稼げない」路線になってしまった。
台湾政府は、林務局と台湾鉄路管理局に阿里山鉄道を共同運営させることで難局を乗り切ろうとしたが、林務局も台湾鉄路管理局も阿里山鉄道を引き受けたがらなかった。収益が見込めなかったためだ。
この時期台湾メディアは「阿里山鉄道、資金難により年内に運行停止か?」と伝えている。結局、最高行政機関である行政院での審議を経て、林務局が単独運営する形で決着した。
この審議の結果、阿里山森林鉄道は「阿里山林業鉄道」に名称変更されることになる。2018年7月、林務局に阿里山林業鉄路及文化資産管理処が発足し、現在に至っている。
「お荷物」だった阿里山鉄道の復旧に、政府は23億台湾元(約113億860万円)を支出している。そこまでしてこの路線を復旧させたのはなぜなのか。それは、「台湾の南北格差解消」に向けた起死回生の策だったからだ。
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