「死が目前に迫った人」の話に、どう耳を傾けるか 相手の気持ちを100%理解できなくてもいい
ご家族を亡くしたとき、見守り、見送る側の人々も別れに苦しみます。大切な人を失った悲しみに加え、「どうして、もっと早く病院に連れていかなかったんだろう」「話をちゃんと聞いて、希望を叶えてあげたかった」「病気と全力で闘っている人に『頑張れ』と言ってしまったことを、今でも後悔している」といった具合に、自分自身を責めてしまうことも少なくありません。
しかし、そんなご遺族に対し、「亡くなられた方は、みなさんに支えられて、きっと感謝しているはずです」と慰めの言葉をかけたところで、なかなか相手の心には届きません。
こうした苦しみを抱えている人にとっては、「苦しみをわかってくれる人がいる」「苦しみを共に味わってくれる人がいる」と感じられることこそが、何よりも大事なのではないかと、私は思います。
「わかち合いの会」に集まるみなさんは、同じ境遇の人たちがいる中で気持ちを話すことによって、自分自身を癒やしている。私の目には、そんなふうにも映ります。お話しになる内容は毎回同じでも、心の中では、前に向かって歩んでいくための力が養われているような気がします。
もし、今、みなさんが何かに苦しんでいるなら、似たような思いを抱えている人たちが集うワークショップなどに足を運び、自分の苦しみを話してみると、よいかもしれません。
相手の気持ちを「100%理解」することはできない
苦しみを抱えた人を気遣うことは、とても大切です。しかし、どんなに親しい間柄であっても、どんなに心をこめて接しても、人は相手の気持ちを100%理解することはできません。
私自身、他のスタッフと意見が食い違い、悩んだこともあります。同じ職場で、同じように患者さんのことを思って働いていても、互いの考えを完全に理解することはできないのです。
それでは、他人の苦しみに対し、私たちはどうすればいいのでしょうか。私は次のように考えています。
「人と人は完全に理解し合えなくても、相手を『理解者だ』と思ったり、相手に『理解者だ』と思ってもらったりすることはできる」
まるで何かの問答のようですが、私はいつも、「もしかしたら、『理解者だ』と思ってもらえるかもしれない」という希望を抱きつつ、患者さんと接しています。
かつて看取りに関わった患者さんの中に、長年真面目に働き、定年退職後に奥さんと世界旅行をすることを楽しみにしている方がいました。しかしあるとき、体調不良から検査を受けたところ、がんが発見されたのです。がんは肝臓と脳に転移しており、治療は難しく、余命1年と宣告されました。
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