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安らかな死を迎えられぬ、日本の「透析医療の闇」 『透析を止めた日』著者・堀川惠子氏に聞く

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『透析を止めた日』著者の堀川惠子氏
[著者プロフィル]堀川惠子(ほりかわ・けいこ)/ノンフィクション作家。1969年生まれ。『原爆供養塔―忘れられた遺骨の70年』(第47回大宅壮一ノンフィクション賞)、『狼の義―新 犬養木堂伝』(林新氏との共著、第23回司馬遼太郎賞)、『暁の宇品―陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』(第48回大佛次郎賞)など著書多数。(撮影:今井康一)
なぜ透析患者は安らかな死を迎えることができないのか。どうして十分な緩和ケアを受けることができないのか。透析を止めた夫を看取った著者は、透析医療の数々の問題点を描き出した。
透析を止めた日
『透析を止めた日』(堀川惠子 著/講談社/1980円/328ページ)書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします。

──後に夫となるNHKプロデューサーの故・林新(あらた)氏との出会いによって、透析治療について詳しく知るようになりました。

夫と出会ったのは彼が血液透析を始めて8年目だった。当初、透析には週に何回か病院に行って点滴をするような漠然としたイメージしかなかったが、同行すると患者にとって極めて負担の大きい治療だと痛感した。4センチメートルぐらいの太い針を2本刺して、体内の血液をいったん全部外に出して浄化して戻す、こんな侵襲性の高いことをしているのかと驚いた。

透析の特殊性は、外から見たイメージと本人が受けている負担との間の乖離にある。歩いて病院に行って帰ってくる、食事も普通にできているように見えるなど、はた目には普通なのに、透析を止めたら確実に死ぬ。そんな過酷で孤独な立場に患者たちはいる。

──周囲に理解されず、誤解や偏見を感じたこともありました。

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