「死が目前に迫った人」の話に、どう耳を傾けるか 相手の気持ちを100%理解できなくてもいい
「一生懸命働いてきて、老後は奥さんを労わってあげたかったのに」
「なんのために、働いてきたのか」
「自分の人生はなんだったのか」
最初のうち、その患者さんは、絶望し、苦しみ、これまでの人生の意味すら見失ってしまいました。こうした患者さんに対し、私たちにできることは何か。丁寧に話を聴くことしかありません。
たとえ苦しみは解決されなくても、辛いときに「辛い」という言葉を、苦しい時には「苦しい」という言葉をちゃんと聴いてくれる相手がいるだけで、つまり「この人は、自分の気持ちをわかってくれている」と思える人がいるだけで、人は少しだけ、楽な気持ちになることができます。
人生の最終段階の医療に携わる私たちは、日々、苦しみを抱えた患者さんたちと向き合っています。たとえ気持ちを100%理解できなくても、もしかしたら患者さんが、私を「理解者だ」と思い、穏やかな気持ちを取り戻してくれるかもしれない。
私はいつも、そのような希望を抱きながら、患者さんの話を丁寧に聴き、共に苦しみを味わおうとしています。
話を「丁寧に聴く」のはとても難しい
ただ、「相手の話を丁寧に聴く」というのは、簡単なようで、とても難しいことでもあります。
最初は話を聞いていたのに、気がつくと、自分の体験談やアドバイスを話してしまっている。相手が話していないことまで勝手に自分の頭の中で想像して補い、わかったような気になってしまう。そんな人は、案外多いのではないでしょうか。
特に、相手のことを少しでも理解したと思ったとたん、人は相手の話を聞かなくなりがちです。家族や親友など、気心の知れた人に対して、相手がまだ話している途中なのに「聞かなくてもわかるよ」とさえぎってしまったことはありませんか?
医療の現場でも、紹介状によって病状などを把握した医者が、病気の辛さを訴える患者さんの話をあまり聞かずに診察を進める、ということがしばしばあります。話を聴き、その苦しみを共に味わうことで、患者さんの苦しみが和らぐこともあるのに、残念ながら、そこに気がつかない医療者が多いのが現状です。
話を聴くときには「相手は、自分とは違う人間である」と認識し、先入観や思い込みを捨てる必要があります。
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