宮中の「ぞっとするいじめ」裏にある"女房の対立" 皮肉交じりの贈り物を受け取った左京の君
人に見られる立場の童女に無性に心が痛むと書きつつも、紫式部も童女を観察して、ここが良い・悪いと記しています。
しかし紫式部自身もその矛盾に気が付いたようで、「あれこれ批評しているけれど、私たちが『あの子たちのように人前に出よ』と言われたら、緊張して足が地につかないだろう」と感じていました。
そして自身の女房生活を振り返り「我ながら、こうも人前に出ることになろうとは、かつては思っていただろうか」としみじみします。
紫式部の想像はさらに膨らみます。「びっくりするくらい変わってしまうのが、人の心だろう。きっとこれから私も女房生活に染まりに染まり、人々に顔をさらしても平気になるに違いない」と「妄想」を展開しています。
こうして童女についていろいろと考えすぎてしまい、せっかくの華麗な儀式も紫式部の目にはしっかりと入らなかったようですね。
左京の君に対する「いじめ」が起きる
さて、そんななかで「左京の君事件」が起こります。事件と書くと仰々しく聞こえますが、政変といった類のものではありません。
左京の君は、弘徽殿女御(内大臣・藤原公季の娘)の女房。彼女に対し、中宮彰子の女房たちが匿名で嘲笑の意味を込めて、和歌や贈り物をしたという事件です。
左京の君はすでに宮仕えを辞めていたのですが、今回は藤原実成(弘徽殿女御の弟)が奉った舞姫の介添え役として内裏に参上していました。
それにしても、なぜ中宮彰子の女房たちは、弘徽殿女御に仕えていた左京の君を嘲弄したのでしょうか。
元女房が舞姫の介添えになることはみじめなことであると考えられ、嘲笑の対象となってしまった。介添え役として積極的に采配を振るった左京の君は、奥ゆかしさをよしとする中宮彰子の女房らに嫌われた。こうしたさまざまな説があります。
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