日本人の「自画像」の書き換えが必要とされる理由 「経済大国」から「アニミズム文化・定常文明」へ
ここで日本の自画像あるいは自己イメージについて考える手がかりとして、いわゆる「日本人論」で描かれた日本像の展開について簡潔な整理を行ってみたい。
駆け足で議論を進めることになるが、一般に日本人論とは、「日本人(ないし日本文化)の特質」について何らかの角度から論じたものをいい、これまで無数の論あるいは著作が示されてきた。
たとえば江戸時代における本居宣長らの「国学」の系譜は一種の日本人論――特に中国と対比のうえでの日本文化の特質を論じる――とも言えるし、広く読まれている渡辺京二氏の著作『逝きし世の面影』――江戸末期から明治初期に日本を訪れた外国人が日本について記した文章を独自の視点で整理し再構成したもの――で扱われている、当時の外国人の日本に関する著作群も「日本人論」と呼べる性格を含んでいる。
高度成長期前後に興隆した「日本人論」
しかし「日本人論」がある意味でもっとも活発化し、その“興隆”を見たのは、やはり昭和の高度成長期ないしその前後の時期と言ってよいだろう。
なぜこのようになるかというと、当時の日本がまさにそうだったように、ある国が国際社会の中で何らかの意味で“頭角”を現わし、注目されるようになると、当然のことながらその国の特質やその背後にある諸要因についての議論が起こり、またその国内部においても、(そこで意識されている国際社会ないし他国との比較の中での)自らの特徴あるいは再定義をめぐる議論が活発になるのである。
ちなみにこれは当然日本に限ったことではない。たとえばアメリカもまた「アメリカ人論」の活発な国であり、そこでのキーワードの一つは「アメリカ的性格(American Character)」、つまり他国にはないアメリカ人ないしアメリカ社会の性格で、この話題に関する無数の著作が(特に1950~60年代頃を中心に)刊行され、さまざまな議論が行われたのである(この点について詳しくは拙著『エイプリルシャワーの街で――MITで見たアメリカ』および『脱「ア」入欧』を参照されたい)。
話題を日本人論に戻すと、日本人論がもっとも活発だった高度成長期ないしその前後の時代における、そうした論の内容面での特徴はどのようなものだったのか。
ここで日本人論として挙げられる著作の中で特に代表的なものを挙げるとすれば、それは以下のようなものとなるだろう。
・ルース・ベネディクト『菊と刀』(1946年)
・中根千枝『タテ社会の人間関係』(1967年)
・土居健郎『「甘え」の構造』(1971年)
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