日本人の「自画像」の書き換えが必要とされる理由 「経済大国」から「アニミズム文化・定常文明」へ

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ごく簡潔に確認すると、『柔らかい個人主義の誕生』は、そのタイトルが示すように当時(80年代)の日本において(それまでの時代に見られなかったような)自立性の高い「個人」が生成しつつあり、結果的にそれは「コミュニティ」と「個人」の次元がバランスよく調和した「柔らかい個人主義」と呼びうる新たな方向を示しているという内容だった。2番目の『母性社会日本の病理』は主として「コミュニティ」(人と人との関係性)に関わる内容で、議論の方向は先ほどの『タテ社会の人間関係』や『「甘え」の構造』と通底するものである。

一方、『文明の生態史観』は、ユーラシア大陸の中心に広がる乾燥地帯とその周辺の文明世界(中国世界、インド世界、ロシア世界、地中海・イスラーム世界)を「第二地域」、そこから離れた西ヨーロッパと日本を「第一地域」としたうえで、遊牧民による暴力や破壊が生じやすい第二地域から遠い距離に位置する西ヨーロッパと日本において、互いに類似した社会発展の過程があったとする内容だった。

これは現在の視点から見るといささか議論がラフすぎるという印象も残るが、当時の日本の状況(この著書の原型となった論文が雑誌『中央公論』に発表されたのが1957年)においては、マルクス的な発展段階論とは異なるオルタナティブな世界史理解のアプローチとして大きな注目を浴びたのだった。ただし、先ほどの和辻の『風土』以上に「日本人論」というカテゴリーに収まるかは若干微妙な面があるので、図では括弧に入れて示している。

「自然」や「環境」をめぐる次元の重要性

以上を踏まえてあらためて前掲の図を見ていただくと、これらの3著作を加えたうえで、全体としてやはり高度成長期とその前後の時期の主要な日本人論の多くは、日本社会における人と人の「関係性」、あるいは「コミュニティ」ないし集団のあり方に主たる関心を向けているという点が確認できると思われる。

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