ロシア領侵攻で高まる世界戦争への発展可能性 ウクライナ戦争はスラブ人同士の問題だ

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もちろん、ウクライナ軍のロシアへの侵入は今回が初めてというわけではない。1年前にベルゴロド方面に侵攻してロシア軍に撃退されている。

今回はその兵の数(1万人を超す兵隊が投入されたともいう)において、その武器の量において格段に違う。さらには、このクルスクという場所は、ある意味、因縁の場所でもある。これらを考えると、まったく違っているともいえる。

因縁とは何か。この侵攻が第2次世界大戦当時のドイツ軍によるクルスク奇襲作戦を思い出させるからである。

ドイツ軍によるクルスク大戦車戦

今から81年前の1943年7月5日、ドイツ軍は最後の決死作戦に出る。これがクルスクの戦いといわれるもので、第2次世界大戦では最大の攻防線である。

結局ドイツ軍はこの戦争で敗退し、その2年後にドイツ第三帝国は壊滅する。当時の司令官はソ連側がジューコフ、ドイツ側はマンシュタインであった。

この戦いは独ソ戦において決定的攻防線であり、この勝敗が、少し前の「スターリングラードの攻防戦」(1942年7月から1943年2月)とともに、ドイツのソ連への侵攻、すなわち1941年6月から始まったバルバロッサ作戦の転機となった。

2度あることは3度あるというが、2024年8月にウクライナ軍が突然にクルスク攻撃作戦を開始した。最初はナポレオンのベレジナでの戦い(1812年11月)だ。ともに激しい戦いの後、ロシアの勝利に終わっている。

クルスクはとりわけ戦車戦として有名で、上映時間8時間というソ連映画の大作『ヨーロッパの解放』の第1部が「クルスク攻防線」であった(青木基行『クルスク大戦車戦』学研M文庫、2001年参照)。

クルスクという町は昔から交通の要衝で、川の合流点でもある。1000年の歴史を持つ町でもある。また、ロシアの工業地帯であると同時に、チェルノブイリと同じ種類の原子力発電所があることでも有名で、しかも北極海のガス油田から来るガス・パイプラインの分岐点でもある。

それは、ウクライナを通ってポーランドとドイツに流れるキーステーションである。そしてウクライナ戦争後もこのガス・パイプラインは西欧にガスを供給していたのだ。

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