ウクライナ戦争が始まって、ちょうど2年と半年である。戦争としてこの2年半が遅いのか早いのか、いろいろと議論はあろう。総力戦ではない条件付き戦争という近代戦においては、つねに全力投球ではなく、有利な条件をもって交渉にあたり、停戦を考えるのがつねである。
だから、交渉という問題を考えるとこの時間の長さは当初より考えられていたことではある。しかし、戦争の被害の大きさを考えるとき、2年半はとても長いといえる。
ウクライナの新たな選択
8月24日は、ウクライナの独立記念日だった。この日を祝うべき日であるが、ロシア軍の総攻撃の噂もあった。各国大使館にはウクライナから避難命令が出ているという話も出たほどだ。
なぜそうした事態が起きたのかは、2週間前のウクライナ軍によるロシア領クルスクへの総攻撃に原因がある。
2月にドネツク近郊の要塞アウディーイウカ(アフディフカ)が陥落して以後、ロシアの東部戦線における進撃は止まることがない。だから、防戦一方のウクライナが、いわばそのロシアに奇襲攻撃をかけたということである。
これは陽動作戦なのか目くらまし作戦かはわからないが、ロシア国境を越えて侵入したという点で、ウクライナは新たな選択をしたといえる。しかし、正直に言えば、宣伝効果的側面は評価されるものの、実質的意味は悲劇的なものといえるかもしれない。
実際、西欧諸国のメディアは一斉にこの侵攻を大勝利と報道し、あるメディアはロシアの弱点を見つけたウクライナは、ロシアを敗北させるのではとさえ報じた。
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