転換点を迎えたウクライナ「10年戦争」の行方 アウディーイウカ要塞の陥落が戦局にもたらす意味

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アフディフカでパトロール中のロシア軍兵士(写真・スプートニク/共同通信イメージズ)

2024年2月24日でウクライナ戦争は3年目に突入した。いまだに停戦の糸口が見えてない中、戦争は一つの山場を迎えているといってよい。

2月になって大きな話題は、ロシアのプーチン大統領に対するアメリカのタッカー・カールソンのインタビューであった。アメリカのジャーナリストがモスクワに乗り込み、直接プーチンに質問するというのであるから、インタビュー前から話題になっていた。

2014年からの戦争

プーチンとのインタビューといえば、すでにアメリカの映画監督オリヴァー・ストーンのインタビューが本になって出ている。それ以上に、カールソンが何を聞き出すかに注目が集まった。

インタビューは2時間にわたり、ほとんどプーチンの独演という状況であった。とうとうと立て板に水のごとく答えていくプーチンの力強さだけが目立った印象であった。世界一タフで切れる大統領というイメージが残ったかもしれない。

その内容は、ウクライナとロシアの歴史、ソ連崩壊後のエリツィン政権の失敗、21世紀になってのNATO(北大西洋条約機構)の拡大、BRICS諸国の世界経済における地位の変化、そして停戦の可能性についてであった。

問題は、このインタビューを聞いたNATO諸国がロシアに対するイメージをどれだけ変えうるかという点にある。

プーチンの弁舌はいつも通りで、ロシア史やウクライナ史、ソ連崩壊後ユーゴスラビア問題、その後のNATOの拡大など、とくに新しい論理を展開したわけではない。

ただ、この戦争は2022年ではなく2014年のマイダン事件、そしてミンスク合意から始まっていたのだという点は、重要な意味を含んでいた。

2022年2月24日からウクライナ戦争が初めて始まっていたのだという理解は、あくまでも非当事者のレベルの理解であり、すでに戦争状況に直面していた当事者であるウクライナもロシアもこの点では、少々異論を持っていたのかもしれない。

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