転換点を迎えたウクライナ「10年戦争」の行方 アウディーイウカ要塞の陥落が戦局にもたらす意味

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すでに2023年10月、ドンバスの中心地ドネツクの北に位置する化学工業都市アフディフカは、ロシア軍によって包囲されつつあった。このドネツク近郊の小都市は、ミンスク合意の際、ドンバス地区から切り離されたウクライナの工業都市だった。

この地域は工業と水源をもつことで、ウクライナの戦略上きわめて重要な地域であり、2014年以降この地域からドネツクに対する攻撃がしばしば行われていた。

その意味で2014年以降、戦争は断続的に継続していたということなのだ。ロシアが介入することになった2022年2月24日以後も、難攻不落ともいえるこの要請都市への攻撃はロシア側の重要な戦略の一つであった。

アフディフカ要塞の陥落

ドンバスから見ればこの地域はドンバスの一部であるが、ウクライナからいえば、ドンバスに渡せない重要な基地であった。

ウクライナはこうした要塞都市をマリウポリ、バフムートなどに持ち、そこから徹底抗戦を行っていた。ロシア軍が、こうした要塞(幾重にも地下にトンネルを掘り、ミサイル攻撃に備えてきた要塞)を攻撃しあぐねていたことも確かである。それはロシア軍が何度か撤退したことを見てもわかる。

ドンバスの中心地である大都市ドネツクは、このアフディフカ要塞があるかぎり、ウクライナからの直接攻撃を受けていた。そのため、この都市の攻撃に、ロシアは2024年になって総攻撃をかけていた。それは、プーチンの大統領選挙作戦ともいわれた。

シルスキーの最初の仕事は、この要塞を是が非でも守ることであった。シルスキーも増員をかけ、この要塞の守りを固めていた。

しかしロシア軍は北の高台の要塞を昨年に占領し、丘から低地を望む形で攻撃を繰り返してきた。一方南側の住宅地からも少しずつ包囲網を縮めながら、この町を包囲するように攻めていた。

2024年2月に入り、北の高台から工場地帯と住宅街を分断するようにロシア軍がなだれ込み、ウクライナ軍の要塞は完全に分断されてしまった。

プーチンとシルスキーがインタビューを行っていたのは、まさにこの頃であった。シルスキーが深刻な顔をしてたいへんな状況だといったのは当然であった。ウクライナ軍は2年間、この要塞を守り続けていただけではない。2014年以来ずっと守り続けていたのだ。

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