「自分で本を選べない大人」は、なぜ増えたか 書店を「楽しみとスリルの現場」にするために
とくに占い専門書が多い本屋だからということもあるけれど、まずは、習っている先生が指定した本を買いにくるのだそうだ。それはいいけれど、それだけならネットで買ってもいいだろうに。
さらに驚いたのは、店員さんに「この本って私でもわかりますでしょうか?」と聞いてくる人も少なくないという。
常連ならともかく、初めての人ではその人の関心の方向も経験値もわからない。ましてやその人の理解力など推し量れるわけもない。その質問自体が僕からすると変だ。
「学ぶ楽しさ」が変わった要因は?
これは学力の低下ということではくくれない事態だと思う。基本的に「学ぶ楽しさ」の質が変わったというか、知ることの楽しさが僕たちとは違うということなのだろうか。
このような人が出てくる要因は、複雑だと思うけれどすぐに思う浮かぶのは、「コース修了型」の学習過程が増えたということではないか。
占いというものにしても、ほかのスキルにしても、ある一定のライセンスや修了証を取るためにカリキュラムをこなしていく、という学習法だ。それ自体はハードルがかなり高いものもあって、良質なものも少なくはないだろうが、そこでは「テキスト」があって「段階別」の指導がされる。一定の知識が身に付くとライセンスが与えられるという仕組みだ。
高等教育においては、その過程で自分で独創的な発見や発想をする訓練を積ませられるのだが、カルチャーセンターや塾などではそこまではなかなかできない。
よって、自分で本を選ぶというようなことをするのは学習にとっては寄り道でしかないので、先生が指定した本を自分のレベルに合わせてもらって購入する、ということになるのではないだろうか。
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