錯覚から探る「見る」ことの危うさ《第2回》--静止画なのに動いて見える
1枚の絵に描かれている図形は止まっているはずである。それなのに、見る人には動いているように感じられる絵がある。これは動く錯視と呼ばれる。
古典的な代表例は、オオウチ錯視と呼ばれる図形である。図1にその例を示す。見つめていると、中央の図の部分と周りの背景の部分が、ゆらゆらと別々に動くのが感じられるであろう。動かなかったら、顔のほうを少し動かしてみるといい。静止図形なのに動いて見えるのだから、これは錯覚である。
オオウチ錯視の特徴は、短冊で構成される市松模様が、図の部分と背景の部分に互いに直交する向きに埋め込まれていることである。オリジナルのオオウチ錯視図形では、図の部分は円で短冊の向きは垂直と水平であるが、ここでは図にはコウモリの形を採用し、短冊は45度の向きを選んである。図はある程度ふっくらとしているものなら、どんなものでも同じような錯覚が起こる。
これが静止画なのに、なぜ動いて見えるかというと、次の2つの効果が複合して起こっているためだと考えられる。第一に、目でものを見るとき、私たちがじっと目を止めて同じところを見つめているつもりでも、眼球は細かく動いている。だから、網膜の上では絵の像はつねに細かく動いているのだ。
第二に、網膜上で像が動くとき、私たちは必ずしも本当の動きの方向を感じるわけではない。このことは、床屋さんのマークを思い出していただければ理解できるだろう。
白と赤と青の縞が斜めに描かれている円柱が回転すると、私たちの目には、白と赤と青の縞はその回転の方向ではなくて、円柱の軸方向へ平行移動しているかのように見える。
このように目で知覚される動きが必ずしも本当の動きの方向とは一致しないことを端的に示すのは、「窓枠問題」と言われる状況である。