「なんだ、論理があるじゃないか!」と思われるかもしれないが、これは為替水準の論理ではなく、為替の変化の方向の論理なのである。貿易赤字が増えれば円安方向、アメリカの金利が上がるのも円安方向、という論理はある。しかし、では、今の1ドル=145円が150円になるのか155円になるのか、ということに関しては、何も言えない。さらに、145円と155円とどちらが長期的に正しいのか、ということはそれ以上に一切何も言えない。
つまり、何か世界に変化が起きたときに、為替の変化の方向には理屈はあるが、その変化の幅には理屈がない。その理由は、もともと正しい絶対水準というものが、なんらかの目安ですら存在しない、ということが変化の幅が決まらない、ということを助長している。
かくして為替市場は投機家のやりたい放題に
このような構造の下では、為替市場はどうなるか。投機家のやりたい放題になるのである。
為替売買の実需は実体経済にも金融資産運用市場にも存在する。そして、それは論理が成り立つから予想できる。となると、必ず出てくる需給を利用して、投機的に振り回してさやを抜く、ということが合理的になってくる。相手は必ず売買しないといけないから、為替水準が変動しても、その新しい水準で需給が出てくる。それを狙いすまして、先回りして売買することができるのである。
そして、弱い投機家を強い投機家がカモにする、ということも生じる。つまり、為替の動く方向には理屈が立つから、今述べたような投機的動きをする投機家がいる。
しかし、彼らも方向は予想し、それを利用しようとするが、それがどこまで動くかは予想できない。理屈がないから予想できないのだ。それを利用して、強い、つまり為替市場に影響力の大きい投機家が彼らを手玉に取って、大きく振り回すことで儲けることが可能になり、実際そうするのだ。
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