為替レートについての騒ぎがまだ続いている。だが、ひとことで言えば、いかなる真面目な議論も、為替に関しては無駄である。
為替は何を根拠にして決まるのか?
なぜなら、為替レートの理論値というものがまったく存在しないからだ。だから、為替は、理論とも、ファンダメンタルズとも、あらゆる合理性から無縁のところで決まる。だから、為替を「正しい」水準に戻そうとする真摯な努力はすべて徒労に終わる。諦めたほうがいい。
合理性で決まらないなら、為替は何で決まるのか。それは、投機家の意向と行動である。
それは、株でも一緒ではないか? 行動ファイナンスでは、すべての金融リスク資産の価格は投資家行動で決まるのだから、為替に限ったことではないのではないか?
そうだ。しかし、為替がもっとも極端なのだ。
株価も理論値は、厳密には存在しない。PER(株価収益率)は10倍でも20倍でもいいから、企業の収益見通しにコンセンサスが成り立っても、日経平均株価の予想は、PERの想定によって2万円にも4万円にもなりうる。
それでも、株価については理屈で議論ができ、前提を置けば、水準について何らかの論理的な予想、議論、説明ができる。
しかし、為替はそれがまったくできない。論理がほぼゼロなのだ。「そんなことはないだろう」と反論が来そうだ。例えば「東洋経済オンライン」などで、みずほ銀行のチーフマーケット・エコノミストである唐鎌大輔氏がいつも綿密かつ明快な論理で円安を説明してきたじゃないか?などと思うだろう。
それはそうだが、そうではない。結論から言えば、唐鎌理論は、円高にはなりにくいことの論理的な説明を与えてくれるが、しかし、円高の限界が1ドル=120円なのか140円なのかについては、ほぼ何も言えない。「昔ほどには円高にはならない」、ということが限界だ。
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