なぜ若者はキャリアに不安を持っているのか 「成果主義」ではなく「貢献主義」で捉え直す社会

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勅使川原:なるほど、義理ってそういうことなんですね。筋をとおすというか。

舟津:そうなんです。退職されたある京大の先生は「花街」の研究をしていて、よく「芸者は呼ばれればどこでも行くんだ」とおっしゃっていたそうです。頼まれたら断らない。声がかかったら絶対に行く。助けを求められたらギブする。つまり京都の人たちは、損得勘定をしてからじゃないと受けないとしたら、みんなが膠着してしまうと直感的に理解しているんだと思います。だから、頼まれたらやっておけって。そのほうが長期的に見れば、物事がうまく回るという考えなんですね。

勅使川原:これって、若手社会人の方にとっても生存戦略になりそうですね。自分から職場にギブすることで、周囲から信頼や感謝を得られたり、後々自分にとって有利な状況を作り出せるかもしれない。

舟津:そうだと思います。これって「真逆」の人にも届く論理なんですよ。つまり、あなたが誰にもギブしたくないと思っていたら、当然誰からももらえなくなる。だからそのゲームをどこかで崩さないと、誰も何も与えない社会になっちゃいますよねって。

会社経営でも同じです。会社が社員にできるだけ与えないようにしようとすると、社員も当然与えなくなります。すると悪循環が生まれて、結果として選ばれなくなる。逆に、与える会社にはいい社員が集まりますよね。社員側も会社に与える人は評価されるだろうし、そうでない人は評価されなくなる。つまり、与える人ほど幸せになって、与えない人ほど不幸になる。不幸になる必要はないにせよ、与えることで活発化していく。

「成果主義」ではなく「貢献主義」

勅使川原:いま、鳥肌が立ってますよ。私は個人の能力を客観的に評価することができると考える能力主義という社会配分原理を本の中で批判しましたが、他方でつねに、批判するなら代案を示そうと試行錯誤してきました。

たとえば近著では個人の「能力」というより、「機能」の持ち寄り・組み合わせが仕事なのだと著しましたが、いまお話を伺っていて、自分からどれだけギブできたかという見方から能力主義を再考する余地があるのかもしれない、と思っていて。仮にですが、「能力」というワーディングはそのままで、その中に他者性を埋め込むとどうなるんだろう? また違った代案の示し方があるのかもしれないですよね。

舟津:そうですね、学術の世界では「貢献」という言葉がよく使われます。貢献は「どう役に立つのか」と似ているようで、少しニュアンスが異なるんです。役に立つは、ある特定の問題に対して解決策を提示するような実践的な意味合いがありますが、貢献とは、新たな知見や理論を提供して、学術分野や研究コミュニティ全体の知識体系を広げるような意味合いなんですね。だから、論文を出すときに、「この論文にはこういう貢献があります」というギブの視点がなくては見返りもないよと。

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