「岸田&バイデン時代」の後に何がやってくるのか 日米関係史の中で「特筆すべき3年間」が終わる

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ところが菅義偉首相は、その年の夏には「自爆」してしまう。おそらくアメリカの民主党の面々は、「ああ、ジンクスは健在だった」と頭を抱えたのだろう。こうなると日本の新首相には怖くて会えなくなってしまう。だって半年後に辞められたりしたら、目も当てられないではないか。それくらい日本政治には悪しきトラックレコードがあったということだ。

アメリカの要求以上のことを実現した岸田首相

状況が変わったのは明けて2022年2月、ウクライナ戦争が始まってからである。国連の常任理事国たるロシアが、国境を越えてウクライナに侵攻したのだから大変なことである。いかに超大国アメリカといえど、核保有国相手に喧嘩は売れない。経済制裁をということになるのだが、そこで重要になるのがG7の合意である。対ロシア金融・経済制裁は前例のない規模のものとなったが、ここから日米の密接な協力が欠かせないものになる。

この年の5月にはバイデン大統領が訪日する。この機会に合わせて「QUAD」こと日米豪印首脳会談が東京で開催され、「IPEF」ことインド太平洋経済枠組みの第1回会合(こちらはリモート参加がほとんど)も行われる。いずれも日本外交が、バイデン政権を強力にアシストしたケースである。

この年の7月には安倍晋三元首相が凶弾に倒れるが、岸田氏はその安倍氏が望んでできなかったことを成し遂げる。年末に行われた防衛3文書(国家安全保障戦略+国家防衛戦略+防衛力整備計画)の閣議決定がそれだ。反撃能力の保有や防衛費倍増といった課題も決定し、まさに戦後防衛政策の大転換であった。

ここに至って、さすがにバイデン政権の誤解も氷解する。戦後長らく日本にとっての対米関係とは、「対日要求をいかに値切るか」がテーマであった。ところが岸田内閣は、「アメリカに要求される以上のことを、先手を取って実現してしまう」のである。

もちろんそれは「アメリカの圧力に屈したから」ではない。日本を取り巻く安全保障環境が激変し、「今日のウクライナは明日の東アジア」かもしれないと認識したからだ。2023年1月に岸田首相は念願かなってワシントンを訪れ、日米首脳会談において「日米の拡大抑止」を確認している。

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