一風堂や山頭火が頼る「製麺企業」の波乱なドラマ 稲盛和夫さんから教えてもらった大切なこと
42歳の2003年、アメリカ本土への進出を計画し、カリフォルニア州ロサンゼルスに新工場の建設を実現した。47歳になり、新たに300万ドルを借金し工場を4倍の規模に拡張した。
アメリカ本土にはすでに有力な日系の製麺会社が複数社あり、価格競争を強いられることは確実。
そんな中で進出理由として夘木さんが“大義名分”に据えたのが、「特注麺」の製造だ。店主がこだわりを持って自家製で作るスープに合う麺を、小麦粉の配合や形状をカスタマイズし、小ロットから安定供給できる体制を整えた。
博多とんこつラーメンの人気店「一風堂」がニューヨークに1号店を出しラーメンブームに火がついた年の2008年、大手食品卸会社がサンヌードルの商品の取り扱いを決めたことで、出荷量がそれまでの20倍に拡大。全米の飲食店や小売店へと流通網が一気に広がった。
特注麺はその後、アメリカ国内の一風堂(本店などを除く)や、一幸舎、山頭火など有名店でも使われるようになる。
虚無感を感じていた中で見つけた言葉
一方、同じ頃、夘木さんは、ある心境の変化を感じ始めていたという。
「こんな経営で本当にいいのだろうかと、不安を持つようになっていました。でも、借金の返済はできているし、従業員も生活できている。やっていることは間違っていないと、自分に言い聞かせていました」
不安とは、何を手に入れても満足しない、「虚無感」に襲われるようになっていたことだった。
「ビジネスが大成功したら高級住宅街に住めるかもしれない、高級車を持てるようになるかもしれない、そんな夢が膨らんでどうしようもなくなるほど、わたしは物欲が強いほうでした。
雇った友人にも『俺がフェラーリを買ったらお前もベンツくらい乗れ』、なんてかなり狂ったモチベーションの与え方をした時期もあったり。ところが、いくら物欲が満たされても嬉しくない、感謝もない。虚しく、病的な感覚になっていた頃でした」
そんなある日曜の午後、自宅で寝転がっていると、視界の端にこんな文言が飛び込んできた。
「足るを知る」
「なんのために生まれてきたのか」
経営の神様・稲盛和夫氏が手がける「盛和塾」の案内パンフレットに書かれた言葉だった。
ハワイ在住の経営者から勉強会に誘われていたが、「何を今さら勉強する必要があるのか」とまったく興味がわかず、放っておいたものだ。
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