狭苦しくさせている住宅の「南向き信仰」--『思想する住宅』を書いた林望氏(作家・書誌学者)に聞く
近代は「エセ近代」だったから、農民出が政府を作り、都市住民としての意識がない。明治期に参謀本部が作った地図には丸の内あたりでも南北の住宅区画の整理がされている。英国留学組が作ったのに、住宅については見れども見えずということだったのか。大砲、軍艦ばかりに関心が向き、そこに気のつく人がいなかった。戦後になって米国人の暮らしが手本になったが、そこでも問題は解決されなかった。いわば奈良時代とまだ変わっていない。
──さらに、和室、応接間もいらないと。
和室は必要だというのなら、そこでどう生活するのか示してほしい。高齢者こそいすとベッドが必要なのではないか。昔、下宿といえば一間の和室だった。その4畳半の畳の下宿で過ごした人が家を作るから、和室が必要と何となく考えてしまう。今、都市の若い下宿人は洋間にベッドのワンルームに住む。彼らが家を建てるときには和室はいらないのが常識になるだろう。
応接間もいらない。家は自分と家族のためのもので、来客をもてなすための道具ではない。めったに来ない客のために特別な部屋を用意しておくのは、無駄というもの。応接セットというものも当然いらない道理だが、LDKというあいまいな居室を作って、そこに応接セットまがいのソファなどを置く。これも私の理解の外なるところだ。来客と話をするのには、座り心地のいい食堂用のいすがあれば、それで十分だ。
──和室のある建売住宅は買ってはいけないとなりますか。
家の設計を丸投げする人がいるが、建て売りはまさに丸投げそのものだ。見てくれだけのお仕着せを買うことは考えられない。テレビ1台を買うのにも量販店を見て回り、カタログを調べたりする。ところが高額で人生に一度や二度の家を買うために、探す先は近所の不動産屋だけとか、電信柱に張ってあった物件だったりするとは、実に不思議。家に対する観念を根本から変えていかないといけないのではないか。